ビューア該当ページ

就学率と不就学の理由

42 ~ 43 / 794ページ
 明治初期における全国・本県・高根沢町の小学校の就学率についてまとめたのが表13である。これによると、本町域における就学率は、男子は全国平均のやや下、女子は全国平均のやや上であり、総合的にはほぼ全国並みである。
 明治一〇年・一三年とも、不就学児が約六〇パーセントいるが、その理由を見ると、自己疾病による者が一六・一パーセント、親族疾病による者が二四・一パーセント、家が貧しいため(「貧家の事情」)が五九・八パーセントとなっている。
 また、「明治一二年 太田村学齢生就学不就学取調表」から、太田村の学齢生徒数および兄弟での就学・不就学をまとめたのが表14・15である(太田見目清三家文書)。
 これによると、七つの家で兄弟が就学・不就学に分かれていることが分かる。もっとも、人数が少なく、一村限りの史料であるから確かなことは分からない。しかし兄弟で分かれていることから、「自己疾病・親族疾病・貧家の事情」との不就学理由(選択肢)が、果たしてどれほどの意味を持つものか、やや疑問が残る点ではある。
 
表13 明治初期小学校就学率
(単位:%)
    年代
  地域 
全国栃木県高根沢町
明治 6年39.915.128.131.313.523.3
   10年56.022.539.961.524.343.753.125.741.3
   13年58.721.941.162.624.244.155.123.441.0

注 10年の該表中、告成舎(亀梨村)分については学齢人員112人中就学が110人、男子52人中就学50人と記されていながら、不就学は28人となっている。また女子は60人全員が就学となっており、明らかに計算ミスと思われるので、統計から除外した。
全国 『わが国教育の歩み―教育統計80年史』(文部省)
栃木県 『栃木県史』史料編近現代・8
高根沢町 明治10年 「栃木県小学一覧概表」(明治10年12月調査)
          『栃木県教育史』第3巻
     明治13年『塩谷郡学齢就学不就学表』(太田 見目清三家文書)
 
表14 明治12年太田村学齢生徒数
就学不就学
111324
12820
232144

 
表15 兄弟での就学・不就学調
就学者不就学者
A
長男(満12年)
二男(8年11月)
妹(11年11月)
B妹(13年11月)弟(10年11月)
C
二女(11年6月)
二男(8年8月)
三男(6年11月)
D長女(13年2月)二女(10年2月)
E
長女(12年6月)
長女(10年1月)
 ママ
二男(満7年)
F長男(8年10月)弟(12年7月)ママ
G弟(11年4月)弟(8年9月)
9人8人