明治一〇年・一三年とも、不就学児が約六〇パーセントいるが、その理由を見ると、自己疾病による者が一六・一パーセント、親族疾病による者が二四・一パーセント、家が貧しいため(「貧家の事情」)が五九・八パーセントとなっている。
また、「明治一二年 太田村学齢生就学不就学取調表」から、太田村の学齢生徒数および兄弟での就学・不就学をまとめたのが表14・15である(太田見目清三家文書)。
これによると、七つの家で兄弟が就学・不就学に分かれていることが分かる。もっとも、人数が少なく、一村限りの史料であるから確かなことは分からない。しかし兄弟で分かれていることから、「自己疾病・親族疾病・貧家の事情」との不就学理由(選択肢)が、果たしてどれほどの意味を持つものか、やや疑問が残る点ではある。
表13 明治初期小学校就学率
(単位:%)
年代 地域 | 全国 | 栃木県 | 高根沢町 | ||||||
男 | 女 | 計 | 男 | 女 | 計 | 男 | 女 | 計 | |
明治 6年 | 39.9 | 15.1 | 28.1 | 31.3 | 13.5 | 23.3 | ― | ― | ― |
10年 | 56.0 | 22.5 | 39.9 | 61.5 | 24.3 | 43.7 | 53.1 | 25.7 | 41.3 |
13年 | 58.7 | 21.9 | 41.1 | 62.6 | 24.2 | 44.1 | 55.1 | 23.4 | 41.0 |
注 10年の該表中、告成舎(亀梨村)分については学齢人員112人中就学が110人、男子52人中就学50人と記されていながら、不就学は28人となっている。また女子は60人全員が就学となっており、明らかに計算ミスと思われるので、統計から除外した。
全国 『わが国教育の歩み―教育統計80年史』(文部省)
栃木県 『栃木県史』史料編近現代・8
高根沢町 明治10年 「栃木県小学一覧概表」(明治10年12月調査)
『栃木県教育史』第3巻
明治13年『塩谷郡学齢就学不就学表』(太田 見目清三家文書)
表14 明治12年太田村学齢生徒数
就学 | 不就学 | 計 | |
男 | 11 | 13 | 24 |
女 | 12 | 8 | 20 |
計 | 23 | 21 | 44 |
表15 兄弟での就学・不就学調
家 | 就学者 | 不就学者 |
A | 長男(満12年) | 二男(8年11月) 妹(11年11月) |
B | 妹(13年11月) | 弟(10年11月) |
C | 二女(11年6月) 二男(8年8月) | 三男(6年11月) |
D | 長女(13年2月) | 二女(10年2月) |
E | 長女(12年6月) 長女(10年1月) ママ | 二男(満7年) |
F | 長男(8年10月) | 弟(12年7月)ママ |
G | 弟(11年4月) | 弟(8年9月) |
計 | 9人 | 8人 |