七~一一月まで生徒数が減少していることなど、わからない点もあるが、学齢総数に占める就学率は、年間を通して四〇パーセント前後である。日々生徒出席平均数は毎月異なり、高くても約四〇パーセント、特に農繁期には大変低い数値となっている。
このように、学校は設立されたものの、就学率や日々生徒出席平均数を見る限り、子供をなかなか学校に通わせることのできない村人の様子がうかがえる。
このことは、時代はやや下るが、明治一八年平田学校生徒出席簿で、生徒の出席印が極めて少ないこともうなずける(史料編Ⅲ・一〇四五頁)。
表16 明治13年太田村恭修館日々生徒出席平均数
月 | 学齢総数(人) | 生徒総数(人) | 日々生徒出席平均数 (人)(%) |
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 | 324 326 326 325 327 326 235 234 237 234 232 236 | 139 139 139 139 136 126 91 91 91 91 91 128 | 48 (34.5) 46 (33.1) 38 (27.3) 41 (29.5) 21 (15.4) 12 ( 9.5) 39 (42.9) 16 (17.6) 32 (35.2) 37 (40.7) 45 (49.5) 43 (33.6) |
『栃木県公立小学校月報表(明治13年)』太田 見目清三家文書より作成