明治五年九月八日、文部省は学制発布に続き、小学教則を公布した。これによると、課業(授業)について、
一日五字(時)、一週三〇字ノ課程、日曜日ヲ除ク
と規定しており、平日も土曜日も同じように一日五時間の授業をし、日曜日を休日と定めていたことになる。いわゆる「学校六日制」である。ただ本町域では開校前のため、この規定で実際には実施されていない。なお、「時」を「字」と表記しているのはおもしろい。
この小学教則は、明治六年五月一九日改正され、授業について、
一日五時、一週即四日二〇時ノ課定(程)、一・六ノ日ヲ除ク
と規定された。いわゆる「学校四日制」である。この規定が文部省から各地に達せられ、高根沢町には、五月三一日、宇都宮県学務掛(係)から各区の学校担当者・戸長あてに届いた(太田 見目清三家文書)。本町域で、最初に小学校が設立されたのは明治六年のことであるから、当地の初めの小学生には、この制度が適用されたものと思われる。
ところが、明治八年八月、栃木県小学校則が出され、その第一九条で、
毎歳(年)休業ノ定日左ノ如シ
毎月一・六ノ日 但シ三一日ハ此限リニアラズ
と規定された。ただし書きで「三一日」は休業日ではないとしているが、明治六年五月に改正された「小学教則」適用中の約二年間、「三一日」が果たして休業日であったかについては、史料の制約もありよく分からない。