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日曜日休業

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 四日制に慣れてきたのも束の間、明治九年三月二九日、栃木県令鍋島幹から次のような布達が出された。
 
  このたび太政官より第二七号の達しが出され、今までの一・六日休暇を廃止し、日曜日を休暇と定めたので、各小学校においては来る四月より日曜日を休校するように。このことをよく心得、各小学校へもれなく通知すること。以上布達する。
  ただし、土曜日は正午一二時から休暇とすること(後略)(『栃木県史』史料編近現代八・五五頁)。
 
再び「学校六日制」に逆戻りしたことになる。ただ、土曜日の午後を休みにすることは、新しい試みであった。しかし、この直後の五月三〇日、
 
  先日、各小学校の休暇について、土曜日は半日、日曜日は一日休業と定めたところであるが、以後日曜日のみ休暇とするので、さらに布達する(後略)(明治九年『栃木県布達乙第一三七号』)。
 
との布達が出され、せっかくの土曜日午後の休みがなくなってしまった。
 どのような理由で、このように目まぐるしく変化させたのか分からないが、教員・生徒・保護者・学校の運営に携わる人々たち、大いにまごついたことであろう。
 時代はやや下がるが、この制度が約一〇年間続いた明治一九年(一八八六)五月二五日、休業日について、文部省から「小学校ノ学科及其程度」が次のように出された。
 
    (前略)
   第七条 小学校は……日曜日・大祭日・祝日は休業すること
   ただし 土曜日は午後休業してもよい
    (後略)
 
土曜日午後を休みにしてもよいとの、一〇年ぶりの法令である。
 ところが翌明治二〇年(一八八七)二月九日、
 
   休日は日曜日とする(明治二〇年『栃木県令第一三号』)
 
との「小学校規則」が出され、土曜日午後の休みは再びなくなっている。
 近代的な学校体系を作り上げるため、休日一つを見ても試行錯誤は続いていった。

図15 1・6日休業から日曜日休業へ(栃木県立文書館蔵)