宇津学校の前身は、「博愛館」と呼ばれていた私塾(寺子屋)であった。これが、明治維新の新学制が施行された後、表面は中止した形になっていたが、子弟父兄が離れなかったようである。そのため、小学校設立草創期の宇都宮県管轄の時代、宇津家の当主権右衛門は、私立小学校の開業願いを提出したが、公立小学校の盛否も予測できない時期であるとして、その設置は認められなかった(史料編Ⅲ・一〇一七頁)。
次いで明治八年、学齢中の子弟を家業に雇い入れており、貧困のため就学できない彼らのために、私立小学校を開業したいと再度願い出た。学校の位置は宇津家居宅地内、名称は以前と同じように「博愛館」と称するとのことであった。そしてその願いは聞き届けられ、「博愛館」は宇津学校として、明治九年二月六日再開校した(史料編Ⅲ・一〇二一頁)。
当時の生徒数は表17のようであった。
授業料については、「学校概則」では一か月金一五銭と定めていたものの、ただし書きで
貧困のため授業料を納めることができない者は、その半額あるいは無料とする(史料編Ⅲ・一〇二二頁)
とも述べている。現実には、開業願に記されている「学校一か月入費」に、「費金 金八円五〇銭 是ハ月々自費ヲ以テ償却仕候分」(史料編Ⅲ・一〇二〇頁)とあり、また自宅に雇い入れている子供たちでもあり、子供たちの家庭の資力・保護者の好意に応じて受け取っていたものと思われる。
図16 宇津学校の卒業證(上高根沢 宇津史料館蔵)
表17 開校当初の宇津学校生徒数
生徒数 年度 | 教員数 | 役員数 | 生徒数 | |||
男 | 女 | 計 | ||||
明治 | 9 | 1 | 1 | 15 | 10 | 25 |
10 | 1 | 1 | 17 | 10 | 27 | |
11 | 1 | 1 | 23 | 8 | 31 |
『栃木県教育史 第3巻』より