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重い経費負担

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 本町域でも改租経費の負担はかなり重かった。経費の内容は、自分たちで土地を測量し、図面をつくり、面積を計算して帳簿にまとめていく費用で、具体的には測量器械、畝杭、美濃紙、筆墨の代金、雇人夫・雇書記の給料、地主惣代・担当人の日当・旅費などである。最初にたてていた予算で間にあった村はほとんどなかったようである。
 改租経費は全国で明治八・九年の民費の三五パーセントだったという。町域の村々にも部分的に改租経費のわかる史料があるが、それによると亀梨村は明治八年七月~九年六月まで三円二九銭九厘、九年七月~一〇年六月まで一三九円九〇銭一厘七毛かかっている(史料編Ⅲ・九一頁)。これは後者で民費の六八パーセントである。石末村の「民費銘々取調」(石末 加藤岩夫家文書)によると、九年六月~一〇年七月の地租改正諸費は二六四円八九銭で民費五〇一円九四銭の五三パーセント、上柏崎村の一〇年七月から一一年六月までの村費予算調(下柏崎 鈴木康之家文書)では予算総額一八五円三八銭のうち、一二〇円(六五パーセント)が地租改正費として計上されている。伏久村では明治九・一〇・一一年でそれぞれ七一円一九銭六厘七毛・一二九円八銭六厘六毛・六八円五銭六厘五毛、計二六八円三三銭二厘かかっている(史料編Ⅲ・九二頁)。民費総額が不明なので割合はわからないが、恐らく前三村と同じくらいだろう。
 こうした地租改正による民費の増加が、民衆の不満に火をつけることを恐れた県令鍋島 幹は、前に述べたように政府と交渉して、明治九・一〇年度分として追徴される旧地租の増額分を年賦で延納することを認めた。
 それで、多くの村に「改租未納金年賦延納一村引受願」という文書が残されている。太田村は九年度の未納分二七三円九七銭余を明治一四年から二三年までの一〇か年賦で、伏久村は九年度三二〇円六五銭、一〇年度二〇四円三二銭七厘を一四年から一五か年賦で、花岡村は九年分八四五円九九銭七厘を同様に一五か年賦で納めることを願い出ている。この花岡村の史料(花岡 岡本右家文書)によると、九年に旧地租で納めた金額は八二八円だったが、新地租は田の面積が六五町歩ほど増えていることもあって一、六七三円九九銭七厘となり、旧地租の約二倍になっていることがわかる。
 この年賦納入は明治二〇年に利子一割減額の措置がとられると、各村は一斉に残額を納めて年賦返済を終えている。

図25 地租増額分の年賦延納額(伏久 塚原征文家蔵)