巡幸にあたり県当局は道路修繕、仮橋架設などに神経をつかい、塩谷郡長坂部教宣は上阿久津村戸長に巡幸の約一か月前の七月三日までにそれらの工事を遅れずに終わらせるように達しを出している。一方、休憩所についても塩谷郡書記の檜山六三郎は上阿久津戸長に絵図面について周囲の堀なども詳細に書くように連絡している。休憩所が阿久津内国運送会社出張所に決定した際、修繕について「御座所廻り薄縁敷、かつ御厠床羽目取繕、天井布張致す」よう連絡があった。修理は七月一二日までに完成し、多くの調度品かおかれた。休憩所の備品としてテーブル一脚(長さ三尺五寸、高さ二尺四寸、幅二尺)、土瓶は一升入り一個で新調し、水は当地の上等の水を選び「お茶用ノ湯相沸カシ置クベシ、尤其水質ハ善良ナルモ、便所不潔所ニ近接ノ井水ハ御料用ニ相成ラズ」となっている。割蓋付水桶は一個で、材料は杉で新調し、水は入れ替えるようになっている。
お付人の詰所用にはテーブル四脚、椅子二〇脚、煙草盆一〇個、茶具三〇人分、焚炭三貫目、出入口の靴拭用に筵二枚が準備された。
給仕雇には次のように記されている。
一、給仕御雇 塩谷郡上阿久津村
野中辰吉長男 野中民次郎 一三才
一、給仕御雇 同郡 同村
伏木覚弥孫 伏木房吉 一二才
一、給仕御雇 同郡 同村
藤原政次郎長男 藤原民吉 一三才
一、水汲御雇 同郡 同村
黒崎清蔵
上阿久津村の小休所には給仕雇、水汲雇など一三歳くらいの少年が任命され、不敬のないように申し渡された。そして、傭われた者の名簿は巡幸御用掛に提出された。
図28 天皇巡幸の際の給仕御雇いの請書(氏家町 ミュージアム氏家蔵 永倉家文書)