連合戸長制について栃木県は、明治一六年二月二六日付の県布達甲第一七号で、栃木県令藤川為親代理、栃木県大書記官片山重範の名で「管内戸長役場位置及ビ所管町村別冊ノ通リ来ル三月一日ヨリ更定候此旨布達候事」と達しが出されて、戸長役場は二七一に編成された(『栃木県史』史料編近現代一・二九〇頁)。
高根沢町域では、従来の戸長役場二一か村が氏家宿、狭間田、上阿久津、平田の一宿三村に統合されていった。
特徴的なものをみると、氏家連合戸長役場には一〇か村が統合され、その中に高根沢町域内の大谷村が入っている。狭間田役場は一一か村で構成され、伏久、文挾、飯室、亀梨、上柏崎の五村が入っている。上阿久津役場は三か村で上阿久津、中阿久津、宝積寺が入っている。北高根沢地域の大部分の一一か村、平田、上高根沢、寺渡戸、石末、栗ヶ島、桑窪、西高谷、太田、中柏崎、下柏崎、花岡各村は平田村役場の行政区域に入った。各村がどのようにしてまとまっていったかは不明であるが、村民の意向が反映しているとは思われず村民の不満が現れた。二年後には再び編成替えが行われた。
表36 高根沢町域の戸長役場時代の各村の変化
氏家宿 | 狭間田村 | ||
明治16年 | 明治18年 | 明治16年 | 明治18年 |
10村 | 7村 | 11村 | 13村 |
氏家 馬場 桜野 押上 富野岡新田 長久保 箱森 蒲須坂 氏家新田 大谷 | 氏家 馬場 桜野 押上 富野岡新田 長久保 氏家新田 | 狭間田 松山 松山新田 上野 伏久 文挾 飯室 柿木沢 柿木沢新田 亀梨 上柏崎 | 狭間田 松山 松山新田 上野 伏久 文挾 飯室 柿木沢 柿木沢新田 鍛冶ケ沢 葛城 早乙女 箱森 |
平田村 太田村 | 上阿久津村 | ||
明治16年 | 明治18年 | 明治16年 | 明治18年 |
11村 | 12村 | 3村 | 5村 |
平田 上高根沢 寺渡戸 石末 栗ヶ島 桑窪 西高谷 太田 中柏崎 下柏崎 花岡 | 平田 上高根沢 寺渡戸 栗ヶ島 桑窪 西高谷 太田 中柏崎 下柏崎 花岡 上柏崎 亀梨 | 上阿久津 中阿久津 宝積寺 | 上阿久津 中阿久津 宝積寺 石末 大谷 |
(図32・33を参照)