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第一回衆議院議員選挙

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 明治二三年の総選挙を前に栃木県下の政党動向をとらえることが必要であろう。明治二二年二月一一日帝国憲法の発布により多数の政治犯の大赦出獄があり、旧自由党系の政治活動は活発化した。また、大同団結運動の推進的リーダー後藤象二郎の逓信大臣入閣は旧自由党員に少なからぬ影響を与え、旧自由党を政社派と非政社派に分裂させた。政社派は大同倶楽部、非政社派は大同協和会を結成した。栃木県では大同倶楽部に星亨、塩田奥造、中山丹治郎らが、大同協和会には新井章吾、持田若佐らが参加した。板垣退助は両者の対立を憂い、明治二二年一〇月合同を図って愛国公党を設立しようとした。この時大同協和会は反対し「仮令主義ノ何タルヲ唱ハス我々ハ伯ト断チ自由党ヲ組織スル」(指原安三著『明治政史』)とし、二三年一月二一日再興自由党の結党式を行った。一方愛国公党は大同倶楽部への接近を強めており、栃木県では四月一〇日時点で大同倶楽部より愛国公党に加盟を申し込んだ人が多くみられた。五月五日に創立大会を開いたが、会に出席した者は塩谷郡では五名、そのうち小松清四郎外三名が北高根沢村の諸氏である(表38参照)。しかし七月一日の総選挙実施を目前にして旧自由党系三派は合体し、五月に庚寅倶楽部が結成され選挙戦に入った。
 当時の塩谷郡の政情は総選挙の前哨戦ともみられた三月の県会議員選挙で明らかになった。従来改進党によって独占されていたのが、改進党は全敗し、秋山謙吉、桧山六三郎、小松清四郎の自由党員が独占するという大逆転がみられ(表39参照)、戦局は旧自由党系に有利に展開していた。
 総選挙にあたって、第四区那塩地区の立候補者には中立派の和田方正、見目清らの外に有力候補として郡長経験のある人物二人が活動していた。一人は地元改進党をバックに立候補した藤田吉亨で那須郡長を明治一八年に辞任、改進党から県会議員(那須郡)に当選していたが今回の総選挙に臨んだ。地盤的には那須郡の大半を領域としていた。もう一人は坂部教宜で塩谷郡長から那須郡長を歴任し、総選挙を目前にした明治二三年五月一四日付で辞任、総選挙に名のりをあげた。彼は「我れは自由主義なり」と旧自由党的立場を表明して独自の政治戦略を展開した。下野新聞は総選挙一か月前の政情を坂部について「最初は元気で塩谷過半を圧倒する勢いであったが郡吏の免職、大成会の分離のため勢力後退し、しかしその鋒鋩の鋭利は全区中第一」(「下野新聞」明治二三年六月一日)とその存在は一きわ際だっていることを報していた。
 旧自由党系は有力候補の荒川高俊(黒羽町出身)が明治二二年九月五日、壬生町で開催した条約改正反対の演説会中、脳溢血で急死し、後継者問題で苦慮し、輸入候補に頼らねばならなかった。有志は四月二八日大田原町に集合、投票で候補者を選んだが、投票総数四三票中塩田奥造が三八票で候補者に決定した。塩田は下都賀郡吹上(現栃木市)出身で民権運動以来活躍した政治家であったが、第二区(上・下都賀郡)は新井章吾等の大同協和会が有力で大同倶楽部の塩田奥造は苦境に立たされていた。ここに塩那地区の誘いは彼の心をゆさぶった。第四区(塩那地区)は塩田の交渉に秋山謙吉、小松清四郎(北高根沢)、佐伯有敦の三人を上京させ彼を立候補にふみきらせた。五月半ば、西那須野村那須三六七番地に寄留した塩田はさっそく選挙戦を開始した。塩田の立候補は塩谷地区に新たな空気を吹きこんだ「塩那両郡の空気は久しく改進と保守とに閉じこめられ、実に腐敗を極めたり、今や自由の主義、滔々として水の流れる如く、有為の志士簇々として雲の出る如し」(「民声」二号七頁)と、希望を失いかけた塩那の旧自由党は活発な活動に入った。
 北高根沢村の政況も自由主義を有する者にとって衆議院議員の候補者未定の時は運動も定まらなかったが、塩田の決定により活発化し、五月二三日には赤羽宥松方に有志が会合し、塩田の来会にあわせて演説会が開催された。選挙の結果は塩田奥造五四一票、坂部教宜三六六票、藤田吉亨三二三票、和田方正一九八票で塩田奥造が当選した。
 
表38 愛国公党創立会出席人名
郡名町村名氏名
塩谷郡



  北高根沢村太田
    〃    下柏崎
    〃
    〃
  矢板村
小松清四郎
古口直一
佐藤治郎平
川俣角三郎
福田作平
那須郡










  大田原町
  東那須野町
  大田原町
  金田村
  烏山町
  東那須野町
  大田原町
  芦野町
   〃
  東那須野町
  烏山町
  武茂村建武
柏崎勇蔵
岸上景夫
江連兼太郎
益子建吉
平野辰三
小林清太郎
江連賢盛
渡辺佐太助
印南聴慎
中島常吉
石川庚
菊地六之助

表39 塩谷郡県会議員当選者(明治23年3月)
氏名党名町村票数
 当
 〃
 〃
  秋山謙吉
  桧山六三郎
  小松清四郎
自由党
 〃
 〃
  喜連川
  氏家
  北高根沢
  885票
  431
  431


図37 塩田奥造(大町雅美著『栃木県の百年』より)