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宝積寺人車鉄道の工事と特許失効

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 物資及び旅客輸送を目的として明治三三年に計画された宝積寺人車鉄道は、翌年には測量に取りかかり、三五年四月二八日に内務省より特許が与えられた(史料編Ⅲ・九四四頁)。路線については、予定路線図等の史料がないため詳細は不明であるが、新聞・定款・各種受取書などから推測すると、宝積寺駅より石末・赤堀、そして御料地の東側の上高根沢を通り、芳賀町の下高根沢・祖母井に至るものであった。
 また、株式募集については、一〇月には満株となった模様で、一〇月二〇日に設立総会が開催され、定款の決定、設立費の報告、取締役及び監査役の選任などが行われたようで、そのための事前協議が宇津権右衛門宅で行われている。
 特許状とともに出された命令書には、三六年五月四日までに線路実測図等の許可を受けることになっていた。これに沿って予定路線の測量が行われ、鉄道敷地にかかわる土地の買上げも行われたようである(史料編Ⅲ・九四三頁)。
 しかし、期限までに線路実測図等の提出ができなかったか、許可が下りなかったかで、四二年三月一七日付をもって特許失効となり、幻の人車鉄道となってしまった。

図17 特許失効の文書(国立公文書館 鉄道省文書)