大正二年には、宝積寺米券倉庫株式会社と宝積寺倉庫株式会社がともに七月に設立される。
宝積寺米券倉庫株式会社は、社長に見目清、専務取締役に鈴木今四郎、取締役に矢口長右衛門・鈴木良一・加藤正信、監査役に永倉良平・阿久津勝太郎・平石六郎と北高根沢村・阿久津村・熟田村を代表する有力地主が顔を揃え、まさに地主のための会社であった。
営業内容は、「米穀の保管、俵造の受託、保管米に対する融資金取扱、保管米の売買及受渡の受託、保険業の代弁、小作米取立の受託、保管米輸送及荷為替の受託等」とあり、地主たちの小作米の集荷・保管・販売の共同組織的色彩が強いものであった。保管米は、輸出米検査四等以上の合格米と産米検査の合格米に限られ、それ以外のいわゆる等外・不合格米は、同時期にできた宝積寺倉庫株式会社が取り扱うこととなっていた。米券倉庫の特徴は、産米検査で合格したものを保管し輸出米の検査が受けられること。また、保管米に対しては証書(米券)を発行し、米券で売買・融資・担保ができる仕組みとなっていた。手数料の主なものは、保管料が一俵につき一か月一銭、委託販売手数料が一俵につき三銭、入庫及び出庫料が一俵につき一銭と定められた(史料編Ⅲ・九八六頁)。なお、大正一〇年には会社専用線が宝積寺駅に新設されている。
一方、普通倉庫である宝積寺倉庫株式会社は、米券倉庫と抱き合わせでつくられたようで、「貨物保管、金銭貸付、物品委託販売荷為替取扱、貨物運送又は貸庫等」を営業内容とした。保管料として米・雑穀類は一俵につき一か月一銭、〆粕一五貫目物が一俵につき一か月一銭とされた。