「塩谷郡統計書」から徴兵実施状況をみると、壮丁人数は日清戦争後、少々減少ぎみのなかで徴兵人数は現役より予備役の数が増加傾向にあり、徴兵率も増加の傾向を示していることがわかる(表8)。一方、徴兵免除、兵役免除を表9・10でみると、日清戦争後、一般的傾向としていずれの免除者も減少の傾向で特に兵役免除はその傾向が強いように思われる。
いま、「塩谷郡統計書」で徴兵延期及び猶予の人数をみると郡内の各村とも「逃亡失踪」が大きな比重を占めている。一例を明治三一年でみると、阿久津村の逃亡失踪は四名になっている。徴兵延期・猶予は六名であり、差の二名は上級学校へ進んでいる人たちである。北高根沢村の一一名、熟田村の四名は共に逃亡失踪者である。逃亡失踪はいかなる内容かが問題だが、例えば、宝積寺の菊地角平は材木商用のため無届けで東京へ出かけ、生家より連絡はあったが風邪で遅れたとして点呼不応の始末書を提出したようなこともあった。一般には徴兵延期願などの実情は家庭の生計がなりがたいといった経済上の理由が多くみられた。当時農民の階層分化が進んでおり、経済的に追いつめられた農民たちの存在を見落とすことはできない。
表8 徴兵の実施状況(明治26年~31年)
26年 | 27年 | 28年 | 31年 | |||
壮 丁 人 数 | 阿久津村 北高根沢村 熟 田 村 | 54 63 39 | 58 62 38 | 42 53 38 | 42 54 29 | |
徴 兵 人 数 徴兵率は (現役+予備役/壮丁人数) ×100 | 阿 久 津 村 | 現 役 予備役 徴兵率 | 2 5 13.0 | 2 13 25.8 | 1 6 16.6 | 1 10 26.2 |
北 高 根 沢 村 | 現 役 予備役 徴兵率 | 3 14 27.0 | 3 14 27.4 | 3 10 24.5 | 5 18 42.6 | |
熟 田 村 | 現 役 予備役 徴兵率 | 1 9 25.6 | 4 9 34.2 | 1 7 21.0 | 1 8 31.0 | |
兵 役 免 除 | 阿久津村 北高根沢村 熟 田 村 | 9 17 7 | 6 6 2 | 8 5 2 | 3 5 1 | |
徴兵延期猶予 | 阿久津村 北高根沢村 熟 田 村 | 11 - 5 | 9 2 4 | 9 2 4 | 6 11 4 | |
上記のうち 逃 亡 失 踪 | 阿久津村 北高根沢村 熟 田 村 | 8 - 4 | 6 1 4 | 7 2 4 | 4 11 4 |
「塩谷郡統計書」各年度による
表9 徴兵免役者人員
26年 | 27年 | 28年 | 31年 | ||
阿 久 津 村 | 身 体 上 | 12 | 9 | 15 | 9 |
選 兵 上 | 18 | 18 | 8 | 10 | |
北高根沢村 | 身 体 上 | 12 | 15 | 20 | 16 |
選 兵 上 | 16 | 22 | 13 | 9 | |
熟 田 村 | 身 体 上 | 7 | 7 | 16 | 8 |
選 兵 上 | 11 | 12 | 9 | 10 |
「塩谷郡統計書」より
表10 兵役免除者人数
26年 | 27年 | 28年 | 31年 | ||
阿 久 津 村 | 身 長 上 | 1 | 4 | 2 | 2 |
障 害 上 | 8 | 2 | 6 | 1 | |
北高根沢村 | 身 長 上 | 1 | 2 | 1 | 2 |
障 害 上 | 16 | 4 | 3 | 3 | |
熟 田 村 | 身 長 上 | 1 | 1 | 1 | 1 |
障 害 上 | 6 | 1 | 1 | - |
「塩谷郡統計書」より