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在郷軍人団

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 在郷軍人団は明治四三年(一九一〇)一一月三日陸軍省の指導のもとに帝国在郷軍人会が創設される以前の在郷軍人の団体である。軍人団は現役として服役していない軍人の団体で日露戦争前後から各地につくられ始めたものである。
 北高根沢村の在郷軍人団は明治四〇年(一九〇七)三月二二日に創立総会を開いている。創立発起人は佐間田藤十郎、在郷軍人渡辺栄、斉藤六郎、菅又角一郎、磯栄三郎である。創立総会には二一七名が出席し、発起人惣代である佐間田村長は、戦後の形勢上、並びに隣村各地の状況にかんがみ、在郷軍人団の必要を認めた。北高根沢村の在郷軍人団は基金寄付にあたって記した序文にはその心意気を次のようにのべている。
 
  (前略)国ノ国タル所以、其士アルヲ以テナリ、士気アツテ而シテ後、以テ自ラ立ツベシ、挙国以テ自ラ立ツアレバ則チ国立ツ、挙国ノ士以テ立ツナケレバ則チ国仆ルヽ也、仆ルヽト立ツトノ機士気ニアルナリトハ、是レ昔時忠臣ノ言ナリ、(中略)抑モ士気乃チ気概ハ千辛万苦ノ綜合聚注スル渕澳ニシテ炎暑ニ耐ヘ、祁寒ヲ冐シ饑渇ヲ忍ヒ以テ至難ノ業務ニ服セシムル基礎ナリ、故ニ久シク兵馬ノ間ニ在ツテ収タル節操ヲ国民ニ分タントスル同志結合シ、君主国民ガ子弟教育ノ実ヲ補ハントス、庶幾志アル国民ヲ本団創立ニ至大ナル助力ヲ与ヒラレン事ヲ
 
 そこには戦争で得た節操を国民と分担しようと、子弟教育にあてることを訴えている。団則の第二条にも「協同一致軍事思想の発達を図る」を目的とし、そのために次の五項があげられている。
 
  一、勅諭ノ聖旨ヲ奉戴シ読方ノ主旨ヲ遵守スルコト
  二、現役中教育セラレタル軍事思想ヲ保持シ、一般法律ハ勿論、軍人ニ関スル法令ヲ遵守スルコト
  三、未入営者ノ教導トナリ、且ツ一般青年子弟ヲシテ尚武ノ気象ヲ養成振起セシムルコト
  四、業務ノ余暇、互ニ軍事上ノ研究ト教科ノ復習ヲナシ協同一致他日ノ報効ヲ期スルコト
  五、一般国民ノ尚武ノ精神ヲ発揚センガタメ、時々講話会ヲ開設シ軍事ニ関スル講話ヲナス
 
 村の在郷団員は帰休兵、予後備、補充兵役、第一国民兵役にあるもので、当時村の青年の大部分がこれら五項目を遵守することになった。団員の会費は一年間一〇銭で、日露戦争に参加し御賜の恩典に浴したものは一定の特典がみられた。地方有志の寄付金については、見目清、加藤太平、宇津権右衛門、矢口長右衛門、阿久津徳重、鈴木長寿の六名を大地主とし、他は一般有志として決議された。創立についての準備を経て明治四一年(一九〇八)三月二五日、北高根沢尋常高等小学校で結団式をあげた。明治四二年二月一日は在郷軍人団会議を塩谷郡役所に開かれ、郡軍人団の組織化に動きはじめた(栗ヶ島 渡辺章一家文書)。

図35 在郷軍人会による忠魂碑の除幕式(大谷 阿久津純一提供)