ビューア該当ページ

安い米と重い税

255 ~ 256 / 794ページ
 西南戦争を契機として始まったインフレーションで好景気の賑わいをみせる上阿久津を、東北巡幸から帰る明治天皇一行が通って間もない明治一四年(一八八一)一〇月一二日、前日の北海道開拓使官有物払下げ中止に続いて国会開設の詔、欽定憲法制定の方針、大隈重信罷免が決定された。いわゆる「明治一四年の政変」である。大隈にかわって大蔵卿となった松方正義はこれまでの方針を改めて、まず財政を引き締めて不換紙幣の整理(デフレ政策)に取り組んだ。富国強兵のために軍事費は増やしたが、一般行政経費のすえ置きと増税により紙幣整理の費用を生みだしていった。第二には日本銀行を設立(明治一五年)して兌換銀行券を発行して金融制度を整えるとともに貿易金融も整備して生糸輸出の振興をはかった。そして第三には財政の負担となっていた官営工場の払下げを行って、後の三井・三菱・古河などの財閥企業発展の土台をつくり、さらには農商務省を設置して、緊縮財政のなか、これら大商人や政商へ産業資金を供給する保護助成策をおしすすめた。
 明治一四年末からのデフレ政策により本県でも一五年には急激に物価が下落した。宇都宮町の例をみると表17のようである。米は一四年の一石一〇円二五銭から七円九五銭にさがり、一七年には五円を割り込み、一八年に一時六円台を回復するが、また下落し二三年にようやく回復を見せるようになった。
 増税の面をみるとすでに明治一三年に酒税が増税になっていたが、さらにたばこ税が増徴になり消費税が強化された。地方税では一四年に県の土木費への国庫下渡金が廃止されて、区町村の土木費は強制的に徴収できるようになった。明治一七年の区町村会法の改正・戸長官選制への移行の時に、役場費・会議費・土木費・教育費・衛生費・救助費・災害予防及び警備費を区町村費と決めて、区町村はそれを地価割、戸数割、営業割などとして府県税と同じように強制的に取り立てられることになった。それで土木費・教育費のような国の委任事務費が町村民の負担となって人々の生活に重くのしかかってきた。
 そして、村々を賑わしていた煮売屋や居酒屋、小間物屋などの中には廃業する店も増えて一時期の活気も失われてしまった。
 
表17 宇都宮町の石当たり中等品物価の変化
明治・年玄 米搗 麦大 豆清 酒

 8年 (1875)
 9
 10
 11
 12
 13 (1880)
 14
 15
 16
 17
 18 (1885)
 19
 20
 21
 22
 23
 24
円 銭
  5.21
  4.33
  4.88
  5.91
  7.45
  9.37
 10.25
  7.95
  5.60
  4.82
  6.17
  5.31
  4.77
  4.61
  5.03
  8.45
  6.90
円 銭
 3.44
 2.93
 3.01
 3.90
 6.21
 7.48
 6.67
 4.62
 3.50
 3.34
 3.44
 2.59
 2.05
 2.47
 2.45
 5.88
 5.23
円 銭
 4.63
 4.31
 4.80
 5.26
 6.01
 6.36
 7.28
 7.27
 5.89
 3.22
 4.70
 3.91
 4.43
 4.28
 4.81
 5.56
 4.95
円 銭
 5.81
 5.42
 4.31
 5.18
 10.67
 17.78
 15.34
 20.93
 11.83
 12.17
 15.69
 12.00
 11.78
 12.80
 9.54
 12.10
 12.01

注1 明治13年は酒税の増徴によって清酒の価格が急騰した
 2 明治19年以降は殻麦か
 3 商人の取引価格である
 4 各年度『日本帝国統計年鑑』より作成
  『栃木県史』通史編7近現代二・1頁より引用