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加藤家の土地集中

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 太田の加藤家も五〇町歩以上地主の一人である。大正一三年の所有土地は田一五一町四反歩、畑三〇町三反歩、塩谷・芳賀・那須三郡に二八五戸の小作人がいた。江戸時代末期の当主加藤太平は質屋兼肥料商として手広く経済活動を展開し、那珂湊方面から干鰯を仕入れて販売していた。幕末から地租改正期に質地地主として集中した土地も相当にあったようで、推定では明治一〇年ごろの所有地は田一四町歩、畑五町歩、林野二八町歩、計四七町歩程度であったと思われる。
 加藤家には明治期の土地売渡証文が二一二通残されている。明治期だけ残ったのにはそれなりの理由があったと思われるので、これで土地の集中を論じるのは問題もあるが一応の傾向を知る手だてとして、それを五年区分で整理したものが表23である。ここでは松方デフレ期の土地集中がよりはっきり現れている。この期間の買入れ件数は九四件で田二二町八反四畝歩、畑四町七反一畝歩、林野四〇町一反九畝歩、合計六七町七反四畝歩を買い取っている。これは明治期全体の買入れ件数の四四パーセント、田の三一パーセント、畑の二五パーセント、林野の五〇パーセントである。加藤家は松方デフレ期を経た明治二〇年には田四四町歩、畑一一町歩、林野八〇町歩を所有して大地主としての地位を確立したといってよかろう。
 その後の土地所有の状態をみると、次のようで田畑は年々ふえているが、山林の所有規模は明治三五年の足尾台風で大きな被害の出た後、少し減っている。
 
明治三三年 田七二町二反四畝 畑一二町八反六畝 山林 九四町七反八畝
  三五年  八二町〇反五畝  一六町〇反八畝   一二〇町六反八畝
  三七年  九九町三反八畝  二〇町三反九畝   一一二町六反八畝

表23 加藤家の土地買取り