実際、明治二九年作成の「株式控」によると二六年までに太平は日本鉄道二二四株、東海銀行五〇株、下野銀行四六株を所有して一万六一五〇円を払い込んでいる。さらに明治一六~二五年の五年間に土地買入れに一万四二三三円を投じている。そして、株と土地への投資はその後も拡大している。前記の「株式控」を整理したのが表25である。
株への投資は東北線誘致運動との関係から日鉄株への投資が多く、明治二六年の所有株は見目清の四四四株についで県内二位の持株数で、東北線についてもかなりの発言権があっただろうと思われる。その後も投資は増えており、東北線の石神~氏家への路線変更や宝積寺駅誘致運動の高まる二九~三一年には八〇〇株ほどを取得して、三四年には一、二〇〇株近い株主になっている。また、郵船や北海道炭鉱鉄道は政府の保護下にある会社で安全、有利な投資先であった。明治二四年下野銀行、二九年の宇都宮銀行の設立に際しても多額の投資が行われ、地方銀行への出資者としての地位を高めていった。この「株式控」に記載されている明治三五年までの払込済金額は総額一〇万二四八三円に達している。
太平の子、正信の代にはこうした投資活動を背景に銀行経営に乗り出し、宝積寺銀行、黒羽商業銀行の取締役、大正元年設立の小川銀行監査役に就任した。そして、大正八年には佐久山銀行を設立して頭取になり、昭和三年に下野中央銀行へ合併するまで頭取を勤めた。
加藤家の場合は質屋・肥料商という近世の商人・高利貸資本が、近代化の過程で土地を集中して寄生地主化すると同時に商業・金融資本へ発展・転化していく姿を典型的に現しているといえよう。
図41 大地主・銀行経営者加藤正信(太田 加藤佳生提供)
表24 明治26年所得金調
所 得 項 目 | 所 得 金 | % |
株式配当 貸金利益 肥料商の利益 田畑貸付利益 | 1,143円50銭 753円60銭 40円 970円 | 39 26 1 33 |
表25 加藤家の株式所有
会 社 名 | 株 数 | 払込むべき金額 | 払込金額 | 払 込 期 日 | ||||||
日本鉄道株式会社                 1,195株 59,700円 | 224株 203 50 142   403   80 10 50 33 | 11,200円 10,150 2,500 7,100   20,100   4,000 500 2,500 1,650 | 全面払込済 〃 〃 850円 6,258 1,608 10,617 全面払込済 500 全面払込済 1,650 |     29・12月24日払込 30・6月~35.2払込 30・払込 31.2~10払込   34.2~35.2払込   34.2~35.2払込 | ||||||
日本郵船株式会社       395株 19,750円 | 125 100 50 20 50 50 | 6,250 5,000 2,500 1,000 2,500 2,500 | 全面払込済 〃 〃 〃 〃 〃 | 但しこれは次郎分 | ||||||
北海道炭鉱鉄道株式会社   137株 6,800円 | 50 11 30 31 15 | 2,500 550 1,500 1,550 750 | 全面払込済 363円 1,140 全面済 187.5 | 29・12~32.2払込 29.12~32.2払込   34.2、35.2払込 | ||||||
東海銀行株式会社 100株 5,000円 | 50 50   | 2,500 2,500   | 1,500 1,500   | 払込 30.7~32.11払込   | ||||||
下野銀行株式会社   395株 19,750円 | 46 112 237   | 2,300 5,600 11,850   | 1,950 3,920 2,962.5 1,777.5 | 払込 29年~31.10払込 32.6.30払込 34.1.28払込 | ||||||
宇都宮銀行株 | 120 120 (240) | 6,000 6,000 (12,000) | 4,200 3,000   | 30.1~31.11払込 32.4~34.7払込   | ||||||
氏家銀行株式会社 宝積寺合資会社 房総鉄道株式会社 東京株式取引所 | 30 出資券面 50 10 | 1,500 2,000 2,500 500 | 750 600 払込済 〃 | 31.12~34.1払込 33.11~34.2払込 35.6売却   | ||||||
2,552株 | 129,500円 | 102,483.5 |
太田 加藤佳生家文書「株式 控」明治29年起より作成