地租改正と松方デフレ期を過ぎると、村の中には江戸時代の質地小作とは違った地主・小作関係が現れてきた。私的土地所有権の成立を背景に、明治三一年(一八九八)に施行された民法では普通小作は単なる賃借関係で、物権として保護されたのは「永小作権」だけであった。そのため小作権は法的には極めて弱いものであった。ただ、この地域では江戸時代からの慣習として、同じ村内では共同体としての「隣保扶助」の規制が働いて、地主は特別の事情がない限りは小作地の取上げはしなかったようである。小作契約も口頭の契約が多かったが、明治一〇年ごろから小作証書が作られはじめ、明治二〇~三〇年代には民法草案の発表や民法施行の影響からか小作証書による契約が増えてくる。小作契約の中で比較的権利が強かったのが「永小作」(小作期間二〇年以上、この間理由なく土地取り上げ禁止)である。いくつか例をあげてみよう。
例の一は明治三二年の「永小作約定書」(飯室 鈴木俊子家文書)でこれは地主が小作人へ出したものである。畑一反三畝一歩、小作米五斗五升の約束なので収穫高の五〇パーセントをこえていると推定されるが、地主は次のような条件を記している。
右の地所貴殿へ永代小作に差入候処実正也、しかる上は貴殿方にて永々小作なさるべく候、尤も貴殿方にて田に変換の筈に付、田地に成功の上は耕地大切に成され候筈、万一怠農又は小作米不納の節は破約すること有るべし、且つ又拙者の都合により右地所売却候節は買置を相談成さるべく候也
この契約の破棄条件は二つで、怠農と小作米不納であるが、「破約すること有るべし」という表現には「話し合いのうえ」という意味が読み取れる。また、地主の都合で売却するときは小作人に「買置」を相談するとして、買取りの優先権を与えている。
例の二は明治四三年の「耕地永小作証」(同前)で田二町八反九畝二七歩、小作米一七石六斗四升(但し一俵四斗二升)で本人、保証人二名の連帯契約である。契約破棄の条件は(ア)「小作米納付期日に遅れた場合」と(イ)「右耕地には石灰は使わず肥料としては相当の手肥も施しさらに金肥を用い申すべく」という耕作条件を守らないで「耕耘疎漏」と認めた節となっている。永小作の場合でも小作米の納付期限を守ること、耕作を怠らず、施肥の条件を守ることが契約継続の大切な条件になっていた。