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植林から開墾へ

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 上高根沢人民の願いもむなしく上の原・台の原は御料地に編入されてしまったが、明治二四年(一八九一)に椚植付けのために出した拝借願が許可になった。これは明治二四年から三八年まで一五年間、御料地一五五町二反八畝一六歩を拝借料一か年一反に付き八銭、計一二四円二二銭五厘で借りて、椚苗を一反歩に三〇〇本植え付けて育成し、一五年後に伐採して利益を上げようという計画だった。この時の「椚植付方法収支予算書」(史料編Ⅲ・七二七頁)によると次のようである。
 
  一 椚苗植付出費  金二、八六七円一三銭六厘
  内訳 苗買入費   金一、三九七円五六銭五厘 但し一反歩に付植付本数三〇〇本、
     苗植付人夫賃 金一、三九七円五六銭八厘   計四六万五八五六本 一、〇〇〇本に付金三円
     苗買入費   金三六円  但し枯損木植替え年四、〇〇〇本、三カ年分一万二〇〇〇本分、
     同植付人夫賃 金三六円  一、〇〇〇本に付金三円
  一 椚収入金    金三、四九三円九二銭
    但し植付後一五年目に一反歩に付一五〇本ずつ抜伐、一本平均一銭五厘、一回伐採分
   合支出金  二、八六七円一三銭六厘
    収入金 三、四九三円九二銭    (利益 六二六円七八銭四厘と下草、落葉採取)
 
 この計画が許可になると、大字で協議して要約すると次のような「申合規約」(史料編Ⅲ・七二九頁)を定めた。
 
  一 拝借地は各戸へ割当て分担区域を定め、拝借料金は各拝借人の負担とする
  二 拝借料金は毎年七月五日を限り差出すこととし、大字惣代・願人が徴収する
  三 くぬぎ以外の苗を植付けないこと、植付期限は明治二六年一二月とする
  四 植付が終了したら大字惣代に届を出し、枯損木は必ず植替え、成木になったら各自が適宜伐採してよい
  五 分担区域の下草・落葉を他人に採らせる場合は大字内の人とする
  六 拝借地内の三か所・九町六反一畝一歩を大字共有地とし。下草・落葉は毎年入札とし、入札者は大字内の人とする。入札代金は拝借料金のうちへ加える
  七 右共有地の伐木代金は大字会議で協議し、共同の費用にあてる
 
 このようにして大字が御料地を入会地同様に利用する方式がはじまった。費用はかかるか、苗を植え付ければその生育のため下草刈り、柴木払いなどをするので、大字民は肥・飼料用の生草・落葉、燃料用の柴木などを手に入れられるようになった。また、詳細は不明だが二四年から開墾も始めている。二六年一二月までに九町六反八畝二四歩が畑に開墾されて、椚植付け地とは別に一反歩・年一三銭六厘ほどの拝借料を徴収している。
 明治三三年(一九〇〇)二月の「御料地年季拝借地使用換願」には椚植付けで拝借している土地のうち二町六反四畝歩を畑に使用換えしたいとしている。明治三五年六月の御料地貸渡願が許可になったときの「請書」(史料編Ⅲ・七三三頁)によると、塩谷第一御料地の上の原・台の原秣場のうち一〇町三反五畝歩を畑に転用して、一か年一町歩当たり六円で明治三五年一月から三九年一二月まで五か年間拝借するとある。拝借期限の明治三九年の「塩谷第一御料地内畑反別拝借地内訳帳」(史料編Ⅲ・七三四頁)では三八人が合計九町七反三畝七歩の畑を借りている。
 上高根沢はこのあとも五年ごとに継続拝借願を出し、開墾をすすめており大正五年一一月の「台の原御料地拝借人誓約書控」(史料編Ⅲ・七三五頁)によれば次のようになっている。
 
  一 地目農地
  一 拝借地面積 一六七町九反二畝九歩
           九町九反四畝一六歩 共有免税地 (拝借耕作人数一四四名)
     内訳
  一 宅地面積     四反四畝八歩  一か年拝借料金    六円六四銭
                     一反歩一か年     一円五〇銭
  一 畑地面積 一〇八町九反四畝二四歩 一か年拝借料金一、六三四円二二銭
                     一反歩一か年     一円五〇銭
  一 新畑面積  三二町四反九畝一二歩 一か年拝借料金 二四三円七〇銭五厘
                     一反歩一か年      七五銭
  一 植樹面積  二六町三畝一五歩   一か年拝借料金 一五六円二三銭
                     一反歩一か年      六〇銭
   計金二、〇四〇円七九銭五厘
 
 これで見ると拝借地の約八〇パーセントは畑になっており、しかも前回の拝借願のときより畑が二二町五反歩ほど増えていることが分かる。拝借した上高根沢の人々は営々と開墾に努めて、かつての入会地を広大な畑地に変え一四四名の生活を支える地としたのである。
 この御料地は昭和五年八月に払下げが決まり、上高根沢、石末、鷺の谷などの拝借人三四八名が買い取った。