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林遠里の巡回

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 佐藤の農事講習と並行して明治二四年五月、県勧業課は福岡県の老農で、米作改良で全国に有名な林遠理を農事巡回教師として招いて各地で講演会を開いていた。六日の宇都宮に始まり七日は氏家町で講演をし、その後大宮、矢板、大田原、芦野、黒羽、烏山で講演、さらに全県下を巡回し六月二日まで連日講演をしている。林の米作改良法は「冬蒔き畑苗代法」、「川底土囲い水苗代」という独自の理論に基づく苗代の作り方を行うもので(西村卓著『老農時代の技術と思想』一九九七)、佐藤らの近代農学とは対立する面もあった。氏家での講演会の通知は高根沢の村々にも伝えられた。この講演会に塚原直一郎も参加したのであろうか、宇都宮での講演筆記を出版した「林遠里農事演説筆記」という冊子が大切に保存されていた。
 その後、林の主宰する「勧農社」の実業教師が県下各郡に派遣されているが、那須・塩谷郡担当として来たのは谷茂三で明治二四年から二七年の間、活動しており、近くでは上阿久津、桜野、氏家で農事改良を指導している(同前書)。那須、塩谷、芳賀、河内の諸郡には林遠里の農法の影響を受けた農民も多くいたようである(『明治二十六年林遠里法米作試験成績』栃木県・明治二七年)。栃木県では老農の農業理論と技術、近代農学の理論と技術の双方が明治一〇~二〇年代の農村で説かれていた。しかし、農会が組織されてくると近代農学に基づく技術指導が中心になって、老農の理論と技術はしだいに姿を消していくことになった。

図49 林遠理の講演の冊子(伏久 塚原征文家蔵)