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明治三八年の農事指導

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 農会が一年間にどのような農事指導をしていたのかを北高根沢村農会の明治三八年の事業で見てみよう。
 
三月 五日郡立農事講習所技手が上高根沢の阿久津徳重方で「西洋式馬耕伝習会」を実施
四月二六日各区長へ通知(一)短冊苗代整理、害虫駆除を厳しく励行する(二)共同苗代設置励行の指示(三)改良法による完全なる苗代設置の注意(四)五月四日午後一時・氏家町へ蚕病予防の注意に係官出張、養蚕家集合の指示(五)共同籾種塩水選実施の方法、日割り、施行人員を大字別、農区別に提出の指示
五月一〇日麦の黒穂の共同駆除日の通知、抜き取った黒穂はまとめて焼く指示
     五月一六日 寺渡戸、西高谷、平田、栗ヶ島
     五月一七日 太田、桑窪、中柏崎、下柏崎
     五月一八日 上高根沢、花岡、亀梨、上柏崎
五月一五日苗代整理の検査に担当吏員出張、警察官立会いの上、実行せざる苗代があれば猶予なく処分する。違反者のないよう注意、検査日 五月一七日
五月二五日害虫駆除の郡令(第二号)が発布されたので、村長古口軍平より精々尽力のうえ、駆除の結果捕獲した螟虫、卵塊の数を報告せよとの指示
     期日 六月一日より一五日まで
     苗代田で各自毎朝捕虫機をもって母蛾、浮塵子、卵塊を採取すべし
     共同駆除として一週間以内毎夜誘蛾灯を点じ母蛾を誘殺すべし
     前二項により捕獲した螟虫及卵塊数を町村役場に報告すべし
五月三〇日農会長から各農事指導員宛通知
     害虫駆除を今度小学校生徒に手伝わせるが、その実地練習について郡役所、郡農会から通知があった。小学校長と協議の上各区の日割りにしたがって巡回駆除したいので、六月一日高等小学校へ参集のこと
七月 日(日露戦争のため)軍用大麦買付の大字割当額標準の通知、北高根沢村二五〇石、宝積寺駅集積所への積込期日七月一五日(のち八月三日に延期)
一一月七日堆積肥料改良製造法実地伝習の通知、各大字区長、農事指導員宛
     一一月七日 講話 午後六時より 尋常高等小学校内 講師青木茂八郎
     一一月八日 堆積肥料製造実地伝習 薄井文五郎方
同月一一日持立鋤馬耕伝習会通知、各区長宛 伝習希望者勧誘のうえ人名通知の依頼
     一一月二〇日より七日間、会場 大字太田地内
 
 以上が明治三八年の主な農事指導事項である。農閑期は馬耕などの耕耘技術、堆肥製作法などの講習にあて、春から秋にかけては農作業のそれぞれの時期に合わせて集落単位の共同作業で、塩水選、短冊苗代を厳格に実施させている。正条植は「定木植」として指示はされているが、まだ強制されることはなかった。害虫駆除は特に強力な共同作業として小学生徒まで巻き込んだ全村的運動として行われていた。大谷地区の高龗神社氏子会文書の中には大谷小学校の母娥、卵塊捕獲数や農会の買上代金の記録が多く残されていて、地区ぐるみの害虫駆除への取組みの姿がよくあらわれている。
 この一年の農事指導の中には、明治農法といわれる新しい農業技術が現れていた。それは老農の経験に基づく農法から農事試験場や村の農事試験委員の手で研究と実地の栽培試験により開発された農法への移行であった。その基本には馬耕による深耕、乾田化、金肥施用があったが、具体的にはこの一年間に実施した「塩水選種法」、「短冊苗代」、中耕と除草をし易くする「正条植え」、田稗抜き取り、除草及び病虫害予防・駆除の共同化など多くの労働を費やして反当収穫量を増やすことであった。

図53 新しい農業技術を伝える農事試験場の文書類(伏久 塚原征文家蔵)