小学校令が改正されて間もない明治二三年一〇月三〇日、「教育ニ関スル勅語」が発布された。これは、建国以来天皇と臣民が一体となってきた美徳である「国体ノ精華」を教育の源とし、次いで臣民の守るべき忠孝を核とする儒教的徳目を列挙したものである。これにより国民道徳の基本とともに、天皇中心の絶対主義的な臣民教育という目的が教育の根本となった。
文部省は、全国の学校へ教育勅語の謄本を配布するとともに、学校で式日その他の日時を定め、生徒を集めて勅語を奉読し、その趣旨の徹底を図るよう訓示した。本県では、同年一二月、県の訓令を発し、各学校に勅語謄本を伝達している。
上高根沢小学校に残された明治二五年(一八九二)の校務日誌によると、「四月三日(日)休業、この日神武天皇祭なれば、奉読式を挙行す」と記されており、勅語が読まれていたことが分かる。