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児童の出席率

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 就学率は徐々に高まり、明治四〇年ころには九〇パーセントを超えているが、出席率はそれほど高いものではなかった。
 さて、本町域には、明治期の学校日誌、授業日誌など豊富に残されており、当時の学校の様子を知るうえでの貴重な史料となっている。そのうち、上高根沢尋常小学校日誌から、出席にかかわる記事を次にみることにする。
 
  ・明治四四年六月二八日 強き南風あり。加えて朝のうちは雨降りのため、欠席者多い。男 出席七六、欠席三二、女 出席五八、欠席四二。
  ・明治四五年二月一五日 朝北風強く雪さえ交じり、寒気烈しく欠席児童すこぶる多い。出席 男六一、女五一、欠席 男四七、女四二。
 
 このように、悪天候になるだけで欠席が増大する傾向があり、当時の保護者の学校に対する姿勢の本音がうかがえるようである。
 
  ・明治四三年六月六日 農繁のため欠席児童多い。出席一一七名、欠席九四名。
  ・同年一〇年二七日 平日においてすら欠席児童多いにもかかわらず、農繁のため本日のごときは四分の一の欠席あり(上高根沢小学校文書)。
 
 学校教育が普及してきたとはいえ、当時の子供たちが貴重な労働力であり、このように学校を休み家業を手伝わざるを得なかった実状がわかる。
 なお、表42は、本町域の学校の生徒出席率を、明治二八・三二・三八・四一年と調べてみたものである。徐々に出席率は上昇しているものの、明治後期といえどもそれほど高い出席率ではないことがわかる。

図79 学校日誌(上高根沢小学校蔵)

 
表42 生徒の出席率
年 度(明治)28 32 38 41
日々出席生徒平均数942 1034 1179 1345
生  徒  総  数1319 1332 1389 1516
生徒の出席率(%)71.477.684.988.7

注 生徒総数及び日々出席生徒平均数は、学事年報の本町域の全ての学校の数字を合計したものである。
  栃木県学事年報 明治28・32・38・41年より作成