第一期村是に続いて大正一〇年再び県は告諭を発し、大正一五年までの第二期の町村是の実行を求めていった。しかしこの間につねに指導的役割を演じてきた郡役所が廃止になり、この運動は自然消滅することが多かった。第三期村是は県が大正一五年に三たび告諭を発し昭和五年までの運動を指示した。第一期村是では民力、教育、風俗、健康、自治の五項目の充実を目指したが、最重要目標は「民力の充実」におかれた。第二期の指示事項は傾向として「立憲思想」「風俗改善」に比重をおいたとみられる。第三期は「国家意識」「体制強化」といった時代的背景を特色とした項目が打ち立てられたという見方が強かった。
高根沢町域内では第三期村是の例は阿久津村村是(史料編Ⅲ・二五二頁)にみることができる。村是の内容は従前の村是と余り変化なく、むしろ再確認する形での内容の充実の方向がみられた。
第一に掲げた「立憲ノ思想ヲ明ニシ自治ノ興隆ヲ図ルコト」で重視されたことは一つは租税公課の皆納で、納税組合を設置して完納を目指した。二つ目は「選挙権ヲ尊重スル事」であった。これは前年大正一四年に普通選挙法案が議会を通過し二五歳以上の男子すべてに選挙権が与えられ選挙への関心が高まったからであろう。二番目の事項は「教育ノ進歩及社会教化ノ普及ヲ図ルコト」であった。そこでは不就学児童の問題解決を図ること及び「実業補習教育」「青年訓練ノ実績ヲ挙クルコト」が強調されたが、それは徴兵検査前の青年教育の空白期の充実を図ったもので、とかく悪い習慣の温床となりがちな青年団の充実をねらったものである。このための社会教育の施策に努め成人教育講座の開設が計画された。第三項目の「民心ヲ振作シ風俗ノ改善ヲ図ルコト」では「敬神崇祖ノ念ヲ厚クシ、社寺尊厳ノ保持ニ努ムルコト」「時間ノ励行」などが強調され、神、祖先を崇拝し、仕事には勤勉にいそしみ、時間を尊重し、会合などは定時励行することを訴えた。風俗の改善では婚礼葬祭、入退営に関する弊風を改めることがあった。婚礼、葬祭は簡素、質素をむねとし、特に入退営は「団体旗以外ノ送旗ハ廃シ、餞別ハ軍服ニ代ヘタルヲ以テ只見送ルコト」としている。第四項の「健康ノ増進及保健施設ノ普及ヲ図ルコト」では、体育の奨励、各種伝染病の予防撲滅を主にしている。その他、墓地の整理、火葬場の設置をうちだしている。第五項目は「民力ノ充実、産業ノ発達ヲ図ルコト」で、その主なものは一、耕地の整理、一、宅地の利用、一、農家の労力の節約、一、米麦品種の改良及普及統一、一、養蚕の普及・改良、一、鶏、藁加工等の副業の発達などで村の利益を増やすためいろいろな試みを行おうとしていることが特徴であった。