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米麦作の改善

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 表5で見るような穀物検査の結果から浮かび上がった米麦作改善の方策の第一は品種の改良と統一であった。明治四五年から県農会の指示で村々は採種田を設けて本県の風土にあった品種の種子を必要に応じて交換して配ることにした。阿久津村では採種田の耕作を各大字青年会に依頼している。このとき栽培されたのは農事試験場が気候に合い多収穫と認めたもので大字ごとの品種と栽培反別は次のようだった。
 
  中阿久津 愛国(一反歩)荒 木(五畝歩)関  取(五畝歩)
  宝積寺  愛国(一反歩)藤早稲(一反歩)
  大谷   愛国(二反歩)荒 木(五畝歩)信州早稲(五畝歩)
  石末   愛国(三反歩)撰 一(一反歩)
 
 このときの奨励品種はこれら六品種だったが、大正四年の北高根沢村の採種田では水稲は愛国(一町三反五畝歩)、藤早稲(七反歩)、荒木(一反五畝歩)の三品種に統一されている。また、陸稲も江曾島糯、常陸錦(糯米)、田優種の三品種が奨励品種だった。収穫された種子九二石余を翌年のために交換した人数は五〇五人に達した。
 麦類も大麦は採種圃五か所、六反七畝歩を設けビール会社と契約栽培のゴールデンメロンの他に「関取」「虎之尾」の二品種を栽培、種子一六石余を一三三人に交換配付した。この種子交換は以後ずっと続けられ新品種や奨励品種を普及する重要な方法であった。
 第二は肥料の問題である。明治四〇年代から大正期に入ると高根沢地域でも購入肥料が増えて農家の負担も重くなってきた。農会は肥料の共同購入を推進するとともに自給肥料(堆肥)の製造を勧め、堆肥品評会を開いた。堆肥舎を建てるときは県から補助金もでるようになった。大正六年には北高根沢村の堆肥舎は二九六棟になったが、それでも農家の三分の一なのでさらに普及させねばならないとしている。購入肥料と堆肥をどのような割合で米麦に与えるかは重要な問題だった。稲の倒伏や不良米を作らないように「肥料配合組合」をつくって相互に経験を交流することを農会が奨励した。また、熟田村、阿久津村では村是のなかで農事改良の項目の一つにこの組合の奨励をあげている。
 第三は適期に稲を刈取り、稲架に掛けて乾燥する架乾を実行することの奨励である。台風や長雨で倒伏したり濡れた稲は速く乾燥させないと、芽がでたり腐り易くなって品質不良米になる。これを防ぐのが架乾である。しかし、長年各地で行われてきた方法を改めさせるのは困難で、大正元年から始まっても大正五年で作付反別の一八パーセント程度でしか実行されていない。塩谷郡に至ってはわずか四パーセント、一、五三四人に過ぎなかった。
 そのほか種子の塩水撰や害虫除去、田稗、黒穂抜き取り、短冊苗代の実行が強力に勧められた。塩水撰は固形の苦塩を共同購入してやり、北高根沢村では大正初めには九割をこす農家が実施した。害虫除去や田稗、黒穂抜き取りも村農会が日時を決めて一斉に実施したので、ほぼ目標を達成できるようになった。しかし、短冊苗代は明治四五年、大正二年と郡農会・喜連川署が視察して実施していない農家に警告を発したりして普及をはかったが、なかなか困難だったようで、各村が村是のなかで農事改良の目標にかかげて実行を期していた。
 
表5 大正五年度米・麦検査成績
町村名種 別検査総数成     績不    合    格    区    別再  調  区  別
合 格不合格乾 燥
不 良
赤 米
混 多
不熟米
混 多
品 質
不 良
其 他俵 装
不 適
調 製
不 良
其 他受 検
人 員
合 格
百分率
大正四年度
合格百分率
阿久津村水稲粳三四、三三七 一六、八三〇一七、五〇七三、七一五一、〇三一四〇〇一二、三六一一七、五〇七二三三一、二六四一、四九七三、一三三四九五四
水稲糯五〇
陸稲粳
陸稲糯二、六九七一、二四九一、四四八三〇二三四五七九九一、四四八一〇六八七八五〇五四六六三
三七、〇四二一八、〇八三一八、九五九四、〇一七一、三八〇四〇二一三、一六〇一八、九五九二四三一、三三二一、五七五三、六四一四九五八
北高根澤村水稲粳七一、七九五二九、六三二四二、一六三九三八三七一四〇、八五四四二、一六三四〇七四〇七七、三七九四一五〇
水稲糯
陸稲粳
陸稲糯三、〇六八八五五二、二一三八三二、一二二二、二一三一〇一〇七〇三二八四七
七四、八六三三〇、四八七四四、三七六九四六四五四四二、九七六四四、三七六四一七四一七八、〇八二四一五〇
熟田村水稲粳四七、〇一二二四、六一九二二、三九三七、七九七四、〇七三五八三九、九四〇二二、三九三九九三九九三三、五三四五二六二
水稲糯九五三九五六三六五六二〇四一八二
陸稲粳一〇一〇一〇一〇
陸稲糯一、六一四六八八九二六一五九二八九四六三九二六三六六四三八一
四八、七三一二五、三四六二三、三八五七、九六五四、三六九五九三一〇、四四九二三、三八五九九七九九七三、九二四五二六三

町村名種別検査総数成     績不 合 格 区 別再  調  区  別受 検
人 員
合 格
百分率
大正四年度
合格百分率
合 格不合格乾 燥
不 良
品質
不良
其 他俵 装
不 適
調 製
不 良
其 他
(乾不)
阿久津村大麦一九四一五六三八三八三八三三八〇九〇
小麦三、一六四一、二六五一、八九九一、八九九一、八九九五二一四七〇五五〇四〇七〇
稞麦
北高根澤村三、三五八一、四二一一、九三七一、九三七一、九三七五二一九七五五八三四二七三
大麦七九六一一八一二一八一八七九七四
小麦六、五五〇二、六一二三、九三八三、九三八三、九三八一、一二六四〇六四
稞麦
六、六二九二、六七三三、九五六一二三、九四四三、九五六一、一四四四〇六五
熟田村大麦五六四〇一六一六一六七三五八
小麦二、四四三八三八一、六〇五一、六〇五一、六〇五一五二〇三七八三四四八
稞麦一〇〇
二、四九九八七八一、六二一一、六二一一、六二一一五二〇三八六三五四九

『大正五年度栃木県米穀検査成績報告』による  (栗ヶ島 渡辺章一家蔵)
 

図12 稲をはざ(稲架)にかけて干す(昭和16年)(栗ヶ島 渡辺章一提供)