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地主会の発足

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 野州米の品質向上のため米穀検査を行うことになったときから、小作人の負担の重くなることを考えた県と県農会は「小作者の保護奨励に努むべきは最も緊要の事」(「大正五年栃木県米穀検査成績報告」)として、明治四二年(一九〇九)六月郡市地主会を組織することを指示した。会員には(一)地価二、五〇〇円以上の土地所有者(該当者がいない場合はその町村で最高の地価を有する者一名)、(二)各町村で最も多く山林を有する者一名(一、二が同一人の場合は次に多い地価を有する者)と各町)村を代表する大地主がなった。塩谷郡地主会員は地価二万円以上三名、一万五〇〇〇円以上三名、一万円以上五名、五、〇〇〇円以上二〇名、山林五〇町歩以上・地価二、五〇〇円以上六九名の計一〇〇名であった。町域では阿久津村一一名、熟田村七名、北高根沢村一三名であった。副会長見目清、理事に阿久津勝太郎、鈴木長寿、加藤太平、顧問には矢口長右衛門、加藤正信、鈴木良一がなっていた。
 郡市地主会ができると、一〇月には県地主会が組織された。県地主会は地価五、〇〇〇円以上の地主階級を会員とし、会長である知事の「監督を受け」「指揮・命令に服す」る団体で農事改良奨励、耕地整理の勧誘奨励、小作人の保護奨励などが事業の主なことであった。県地主会員の理事には矢口長右衛門、会員には阿久津勝太郎、加藤秋三郎、見目清、加藤正信、阿久津徳重、阿久津金次郎、宇津権右衛門、鈴木長寿、鈴木良一がなっている。県地主会ができると、郡市地主会とともに町村地主会の設立を急がせた。こうして町村から郡、県にいたる官製の地主会が組織され、農政を支える活動をはじめた。