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塩谷郡地主会の小作契約書

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 県地主会が小作保護政策を打ち出し、郡・町村地主会が小作奨励米の給与や模範小作人の表彰などを行うようになると、これまでの地主・小作関係に変化が現れてきた。少なくとも県・郡地主会員(大地主層)は小作保護を積極的にすすめる立場に立つか、地主会の決定をいやいやでも実行する立場に立たざるを得なかった。郡地主会は小作契約についても小作保護の立場から標準的と見られるモデルを発表し、その使用を勧めた(史料編Ⅲ・八一二頁)。そこに記された小作条件は次のようであるが少し検討してみよう。
 
  前書き 塩谷郡地主会小作米取扱規定及左記の各条項を守り小作をする事
  第一条 小作期間(標準は三カ年)
  第二条 小作米は産米検査合格の上米を選び毎年一二月二〇日限り地主の指定した場所へ運び検査をうける
  第三条 水旱損または凶年のため収穫三分ノ一以上減損と認めたときは、その事情を刈取り前に申立て小作米の減額を請求できる。検査のうえ至当の申立てと認定されれば相当の減額をする
  第四条 水害その他で破損の箇所が生じたときは、地主の検分を受け、協議のうえ小破修繕は小作人の負担、大破の場合は小作人が相当の義務を尽くしたうえは地主が負担する
  第五条 地主の承諾なしに復小作、賃貸しをしない
  第六条 地質を荒らしたり、痩せさせる作物、肥料は勿論、桑・茶等の植付けその他地形の変更は地主の承諾なしには着手しない
  第七条 小作反別に小移動が生じても、そのために小作米の定額の増減はしない
  第八条 小作の地所を地主か入用で一カ年前に予告があった時は、契約期限内でも解約して返地する
  第九条 小作地を正当な理由なく耕作を怠けるか前各条の規定に違背した時は、契約を取消し、若し損害をかけた時はこれを負担し、土地は速に返還する
  第十条 契約期限終了の上は直に返地する。万一作物の都合ですぐ返地出来ない時は地主の指揮に任せ、新に約定を結ぶ
 
 この契約書条文全体の印象は小作人・地主双方の権利・義務が明快に規定されていることである。なかでも特に注目されるのは次の諸点である。
 
(一)第三条、「水旱損、凶作で収穫三分ノ一以上減損」の場合の小作米減額請求の手続きが規定されていること
(二)第四条で「水害その他で破損」の修繕の負担について小作人の負担限度をきめていること
(三)第八条で地主の都合による地所引き上げに一年間の予告期間を設けていること
 
 小作米減額手続きについて見ると、こういう規定は町域の小作証書にはこれまでなかったものである。一般的には「その年の豊凶にかかわらず」定額の小作米を納めるとなっていた。また、明治四三年の河内郡薬師寺村地主会作成の小作証書のモデルにも小作料減額の規定はない。すこし後になる「大正一〇年小作慣行調査」によると、河内郡薬師寺村、芳賀郡中村、大内村、山前村など減損率に応じた減額率を決めているという村もでてくる(『南河内町史』、『真岡市史』通史編・近現代)。
 修繕の負担についても小作証書には「排水・土手普請等」「小作地に関する道路、橋梁、堰・堀浚い等の人夫・諸費」は小作人の負担とするのが普通である。地所引き上げの予告制も前記村々の「大正一〇年小作慣行調査」まで出てくることはない。したがってこの小作証書は小作保護という点では特にすぐれた内容を持っているといえる。問題はこの小作証書がどのくらい普及していたかという事と、記載事項が実際に実行されていたかどうかということである。町域三か村の史料調査のなかで、この小作証書が見つかったのは二軒の地主家だけであった。郡・県地主会の幹部の家でも明治三〇年代の地主の一方的権利を強調した小作証書や図14で示したように、改善されてはいても地主の権利を強調したものが普通であった。また筆者のこれまでの調査では「大正一〇年小作慣行調査」に記載されている小作保護的内容を示す小作証書にはなかなか出会うことがない。

図14 大正期の阿久津村に多かった小作証書(石末 加藤岩夫家蔵)