(ア) 入庫米麦は穀物検査員を倉庫に派遣して検査する
(イ) 倉庫の新・改築、買入をする場合費用の一〇分の四以内の補助金を交付する
(ウ) 移出検査料を米一俵五銭を三銭に、麦一俵三銭を二銭に減額する
のような保護奨励策をとった。農業倉庫の経営主体は産業組合、農会などの公益法人、市町村及びこれに準ずるものと決められていたので、しだいに産業組合の経営になっていった。宝積寺米券倉庫も大正九年一一月に社団法人宝積寺農業倉庫に改編されて新しい出発となった。本社三棟、支社二棟、収容力二万五七一五石の大規模な倉庫であった。
昭和二年五月、鈴木良一を代表者として「塩谷南部購販利用組合」が氏家町、阿久津、熟田、北高根沢の一町三か村を区域として設立された。この組合の実質的なりリーダーは当時熟田村長だった・鈴木峯三郎と思われるが、農業倉庫の経営にあたり、主となる事務所を宝積寺におき氏家駅、宝積寺駅、仁井田駅に倉庫を建設して総収容力九万一一三二俵の大倉庫群を備えていた。この組合の目的は高根沢地域の米を集荷して東京方面へ出荷することであった。
昭和四年一二月の決算報告(『郷土教育資料』阿久津尋常高等小学校編)によると
穀物共同販売高 玄米 四万四八六七俵、五〇万九六九一円二四銭
小麦 二三五五俵、 一万六八九八円三〇銭
計 四万七二二二俵、五二万六五八九円五四銭
貨物発送高 一七万五二五俵(玄米一五万三六二五俵、小麦一万六五五四俵、大麦三四六俵)
であった。昭和一一年この組合を町村組合へ改組することになった時の調書によると、組合員数は北高根沢村五二五名、出資口数九八四、熟田村三四三名、六一七口、阿久津村二〇一名、二六九口、氏家町二八六名、三七一口、計一、三五五名、二、二四一口、払込出資額四万一七三八円で、所有倉庫等は氏家駅には農業倉庫八棟、籾倉庫など六棟と事務所・人夫詰所など三棟、宝積寺駅には農業倉庫六棟、籾倉庫など四棟と事務所・人夫詰所、仁井田駅には農業倉庫五棟、その他倉庫二棟と事務所・人夫詰所があった。事業成績も厳しい不況下にもかかわらず良好だったようで、九年間に剰余金九万九二八円を得ている。このようにして大地主の参加もあったが高根沢地域の産業組合は宝積寺農業倉庫、塩谷南部購販利用組合の活動によって販売面でも大きな力をもつようになってきた。
図22 旧塩谷南部購販利用組合宝積寺倉庫・現農協倉庫