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深まる農業恐慌

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 大正九年の戦後恐慌、一二年の関東大震災、昭和二年(一九二七)の金融恐慌とうち続く不況の中で、昭和四年(一九二九)一〇月、アメリカの株式市場での株の大暴落に始まる世界大恐慌が発生した。折から日本では民政党の浜口内閣が景気回復と輸出促進をめざして、大正六年から続けていた金輸出禁止政策をやめ、金本位制に復帰する準備をしていた。そのため政府と産業界は協調して合理化政策をすすめて物価を安定させようとしていた。そして翌昭和五年一月「金輸出解禁」を実施した。そこへ世界恐慌が波及してきたので、輸出は振るわず輸入は増加して日本の金は大量に海外へ流出し、日本経済は大きな打撃をうけた。
 都市では失業が増大し、内務省の「職工移動調」によると昭和五年に解雇された労働者は五六万九〇〇〇人、同六年は六五万六〇〇〇人に達し、そのうち故郷へ帰ったりして帰農した数は五年三九パーセント・二二万二〇〇〇人、六年四一パーセント・二六万九〇〇〇人にのぼっていた。多くの帰農者を抱えこんだ農村では表1で分かるように、アメリカ市場に依存していた繭価格の暴落をはじめとして米、小麦など主要作物の価格が暴落して非常な困難に陥っていた。昭和六年に最低になった農産物価格はその後すこし持ち直しはするが、それは「満州事変」に始まる大陸侵略政策の影響下においてであった。恐慌は世界的にも農業と農民生活に最も厳しい打撃を与えていたが日本もその例外ではなかった。
 大正一〇年代には都市工業の発達、震災復興工事などで農村から都市への移住や出稼ぎが増えて、高根沢地域でも農業労働者や日雇の賃金の高騰に苦しんでいた。北高根沢村農会は阿久津村・熟田村・氏家町などと協議して地域の賃金を抑える努力をしていた。大正一四年には五月女手間一人一円一〇銭、苗代搔・畦塗り・種蒔き一反歩手間一人分一円二〇銭、一反歩耕起賃二円などと決めて、それ以上の賃金を出さないように各農家へ通知していた。それからわずか五年後の昭和五年には表2で見るように、農日雇一日一円五銭、大工一日二円二五銭、翌六年にはそれぞれ六〇銭と一円八〇銭に下がっている。
 賃金の低下は高根沢地域に多い小作や小作兼業の最下層の農民の生活を脅かしていた。全国的に小作争議が増加して、農民組合や無産政党の運動が活発になり、熟田村や阿久津村には小作争議を通して全日本農民組合(全農)や全国大衆党の勢力が根づいてくるようになり、七年には有名な阿久津村事件が起きることになる。
 また、米をはじめ農産物価格の暴落で農家の所得も減少した。北高根沢村の特別税戸数割の標準所得の算定を五年と六年で比較すると次の表3のようである。一反歩当りの課税標準所得はやや低く算出されているというが、五年から六年への減少率は田小作四〇パーセント、自作で三五パーセントという大幅な減少である。畑は二三パーセント~三四パーセントと相対的には田より打撃が少なくなっているが、それでも大幅な所得の減少をもたらしたことは間違いなかった。阿久津村も熟田村も同じような状況だった。
 「下野新聞」は昭和五年五月一日、県下の状況について次のように報じた。
 
  本県では財界不況の影響を受けて農産物の下落と一昨年・昨年の二か年にわたって米作の減収をきたし、なかんずく米価下落のために農村金融の逼迫により農家生活の状態はどん底に陥り、生活用必需品すらも殆ど買入れられない状況である。なお耕地を売却せんとするものは相当あれど殆ど買手がなく、価格の如きは昨年来急激な低下を示し、田は二割内外、畑は一割五分の下落状況である。次いで農村の余剰労力の利用は従来、佐野、足利地方の機業、栃木地方における副業、山村における山稼等相当あったが、今は激減して農家の収入は皆無に近いといわれている
 
 高根沢地域では聞き取りによると、上高根沢、石末では御料地の払下げ代金の支払いに苦しんだ話や漸く払い下げられた畑を金が払えなくて手放した話、飯室、文挾、伏久などでは耕地整理の年賦金が払えず土地を手放した話、親切な地主が低利で年賦金を貸してくれたのでなんとか土地が残った話などこの時期の苦労話には事欠かない。特に耕地整理が全村的に行われていたから、その年賦金の負担は大変だったようである。昭和七年の熟田村信購販組合の事業報告のなかには「貸付金(四、九五〇円)は肥料資金のみとし窮乏せる小作人及小自作農を主とし、年度内回収を目的としたるが(中略)、約六割未回収なり(中略)。組合員の貯金は本年に入り払戻し多く、預入る者少なく運転資金の支障をきたす程なり」と零細農民の苦況を伝えている。しかし、県北山間部のような欠食児童の続出という状態や冷害による凶作と重なった東北地方のような悲惨さはなく、子守や農雇人を東北諸県から受け入れていた農家も多かった。

図1 昭和初期、副業組合の叺編み(大谷 阿久津純一提供)


表1 主要農産物価格の変化 (大正8年~昭和10年)
「本邦農業要覧」より作成

 
表2 昭和初期の賃金の変化(宇都宮市) (単位:円)
  職種
 年度
農作日傭男農作日傭女大工職木挽職屋根職鍛冶職日傭人夫
 昭和2年(100)(100)(100)(100)(100)(100)(100)
1.300.802.702.703.002.002.00
 3(100)(100)(74)(100)(67)(100)(80)
1.300.802.002.702.002.001.60
 4(100)(100)(74)(100)(67)(100)(80)
1.300.802.002.702.002.001.60
 5(81)(91)(83)(74)(67)(100)(69)
1.050.732.252.002.002.001.38
 6(46)(63)(67)(74)(33)(100)(50)
0.600.501.802.001.002.001.00
 7(46)(63)(56)(74)(33)(100)(50)
0.600.501.502.001.002.001.00
 8(46)(63)(56)(67)(33)(90)(50)
0.600.501.501.801.001.801.00
 9(46)(63)(56)(74)(33)(90)(50)
0.600.501.502.001.001.801.00

( )内は百分比     栃木県統計書 昭和9年より作成
 

図2 蓑を編む農婦(大谷 阿久津純一提供)
 

表3 戸数割賦課の所得算定標準(北高根沢村)
昭和5年昭和6年 (%)
田 自 作
田 貸 付
田 小 作
畑 自 作
畑 貸 付
畑 小 作
畑御料地
1反歩に付 26円
     〃   13円
     〃   10円
     〃   13円
     〃     6円
     〃     4円
     〃    1.5円
17円  65
 9円  69
 6円  60
10円  77
 4円  67
 3円  75
 1円  67