北高根沢村が昭和六年度予算を編成している途中で米価の大暴落があった。収穫期の暴落で小作農の多い村経済が受けた打撃は大きかった。すでに五年度村税の未納に苦慮していた村当局は、作成した予算書を六年二月村会で審議の上、減額修正した(資料編Ⅲ・二六八頁)。その内容をみると、村民生活の経済的困難を反映して特別税戸数割の賦課率を変更(前出)して、戸数割の予算額を一万五六六六円から一万一〇八円に減額した。昭和四年の戸数割の僅かに三五パーセントである。村税総額は四年の六〇パーセントにまで減っている。そして、歳入も一万八六六七円減って四年の六八パーセントに縮小した。歳入減に対応する歳出の減額は予算の全項目で行われた。六年度の歳出予算書には五年度予算に対比しての減額が書かれているので、それによると歳出経常部で土木費の一万円、小学校費の五、二三八円を事業繰延べをして減額、役場費のうち吏員賞与等一、三二四円、村長・助役報酬を年六五〇円から五〇〇円に引き下げて三〇〇円を減額、歳出臨時部では小学校の修繕費等を一、五三三円、各種団体への補助金を一、一三〇円減額している。農会補助の三〇〇円滅、穀物受検組合(一八五円)、納税組合(五〇〇円)への補助廃止などである。この時の村議会では予算の減額と同時に、五年度三、〇〇〇円、六年度五、〇〇〇円の借入金の承認を決めている。下野中央銀行へ預けた歳計金(徴収した村税、手数料)が戻らず村財政の運営ができなくなったためである。借入銀行は第一銀行宇都宮支店であった。
この予算減額修正の経過は次のようであった(資料編Ⅲ・二七二頁)。
二月一九日予算協議の時の予算額 歳入出合計六万八二四二円、前年比八、三五二円減
〃 二四日村会提出予算総額 歳人出合計六万八七四二円、〃 七、八五二円減
委員会修正予算額 〃 五万七〇五五円、〃 一万九五三九円減
当局と接渉修正可決額 〃 五万七九二五円、〃 一万八六六九円減
大幅な減額は事業中止・繰延べ等の行政サービスの低下を招くから、村議会の予算委員会での修正後、県内務部との接渉・承認が必要だったのであろう。五年、六年と北高根沢村は行財政の規模を縮小して恐慌の嵐にじっと耐えていかねばならなかった。
図3 昭和恐慌期の岩本銀造村長(昭和3~7年)