一、町村土木事業は町村道、河川堤防、護岸、浚渫、改修改築工事を選択すること
二、工事は経済上最も有利にして労力費の多いものを選ぶこと
三、労働者は村内の農民のうち生活困難な者を優先的に使用すること
四、土木事業の補助額は事業費の四分の三とすること
五、工事は原則として町村直営とすること
この指示でも政府のねらいが農民の現金収入の増加にあることがわかる。昭和七年度の県予算は六年度の一・四五倍の一、二二六万円となり、国庫補助金は前年度の約五三万円から二一一万円へと四倍に増えた。七年度は県補助金と国の助成金各四〇万八七〇〇円、計八一万七四〇〇円を投じて「農村振興土木事業」が計画された。
県下各市町村からは七、〇八八か所におよぶ工事希望が出されたが、七年度分は二、五五五か所の事業が行われた。事業の内容は小開墾、小用排水、暗渠排水、小設備(護岸・堤防・樋堰改修等)で、塩谷郡で七年から九年までに実施されたのは表6のようである。九年は凶作だったので別に「凶作応急施設耕地事業」が行われた。
塩谷郡の事業は三年間の件数五一五、金額一七万五〇七八円で県全体の約一〇パーセントほどをしめていた。この期間の阿久津村の事業予算をみると次のようである。
昭和六年度 県の失業救済低利資金借入(村債二万円)、小開墾(六、八〇〇円)、水害復旧(八、七〇〇円)、畜産共同場(一、七〇〇円)へ貸付
昭和七年度 農村振興土木事業費補助五、〇二五円、村債一、六七五円 計六、七〇〇円(内労力費四、三五二円)
昭和八年度 農村振興土木事業補助三、一四八円、村債一、〇五〇円 計四、一九八円(労力費二、五八一円)
昭和九年度 農村振興土木事業補助一、八四四円と村債六〇〇円(労力費二一一八円) 凶作応急土木事業費補助一、八〇〇円、村債六〇〇円(労力費一、五七六円)
三年間で一万三七四二円が恐慌対策に投入され、うち一万六二七円が労力費となって農民の手に渡った。成人男子一人一日八五銭の割の労賃であった。これは阿久津村の三年間の村税滞納額(九、二五七円余)をやや上回る額であった。この事業で行った土木工事で分かっているのは、昭和八年度は鷺ノ谷用水隧道出口をコンクリート暗渠にして崩れるのを防ぐ工事(県補助一五〇円、施行者出資金一五〇円)で、この工事では大工は一日一円一〇銭の賃金であったが、地元施行者は一日四〇銭と他の約半分の賃金で人夫をしている。昭和九年は中阿久津―大谷線、大谷―石末線、宝積寺―鷺ノ谷線の道路工事、釜ケ淵用水隧道工事(資料編Ⅲ・七〇五頁)などである。
北高根沢村ではこの間の農村振興土木事業資金関係村債の額をみると昭和七年一、〇〇〇円、八年一、七五〇円、九年六〇〇円、一〇年九〇〇円、計四、二五〇円なので一万七〇〇〇円の補助金が支出されたと推定される。昭和七年の上柏崎の作場道四八三間の改修工事(資料編Ⅲ・二八一頁)では県補助一八〇円、施行者出資金一八〇円、計三六〇円で工事を行ったが、人夫賃は一日八五銭としていた。また、昭和九年の金井下組村道修理工事では県補助一四七円四一銭、施工者出資金二六円八九銭、計一七四円三〇銭で工事を行い、人夫賃は一日四五銭となっていた。
熟田村については仁井田駅前の県道宝積寺―烏山線の側溝工事を時局匡救土木事業として貧民救済のため実施してほしいという請願が出されていること(資料編Ⅲ・二九五頁)程度しか分かっていない。
表6 時局匡救農業土木事業実施表(塩谷郡)
昭和 7 | 昭和 8 | 昭和 9(凶作応急施設) | |||
小開墾 小用排水 暗渠排水 小設備 | 件 数 工事費 件 数 工事費 件 数 工事費 件 数 工事費 | 105 28,659(円) 1 300 54 11,565 85 23,305 | 82 21,887(円) 3 13,041 24 5,906 99 44,535 | 25 3,410(円) 1 100 2 3,440 34 18,950 | 30 5,721(円) ― ― 8 1,588 67 28,303 |
計 | 件 数 工事費 | 245 63,830(円) | 208 85,342(円) | 62 25,906(円) | 109 35,612(円) |
『栃木県史』史料編近現代四・1052頁より作成
図6 上柏崎の土木事業の経理簿(上柏崎区有文書)