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小作問題をめぐって

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 第一次大戦後、小作争議が急増してくると政府・農林官僚の中に、その対策として、地主小作関係を改善しようという動きと小作問題や争議を、農民組合や無産政党の行う実力行使で解決するのではなく、法的秩序の中で解決していこうとする動きが出てきた。前者は法律によって地主小作関係を調整しようとする小作立法の方向と地主小作関係を縮小させることによって小作問題の激化を緩和しようとする方向・自作農創設維持の二つがあった。小作立法は地主的土地所有への制限と小作権強化を目指すもので、農商務省の「革新官僚」らは「小作組合法」・「小作法」の法案をつくり、さらに自作農維持事業を準備した。そして、大正九年から小作制度調査委員会(のち小作制度調査会)でそれらが審議されたが、地主委員は小作関係の法制定はどちらも小作組合や農民運動を助長するものであるとして反対した。地主たちは小作法で地主、小作の権利・義務が明確にされれば地主の権利がかなり制限されることを嫌ったのであろう。結局、小作法案は昭和五年に衆議院を通過するが、貴族院で審議未了とされた。そして、自作農創設維持事業の実施はきまったが、小作関係の法は昭和一三年(一九三八)の農地調整法の成立まで実現しなかった。小作制度調査会は大正一一年、方針を変えて、後者の小作争議への対処が先決問題だとして、小作調停法の制定をいそぎ、日本農民組合の反対を押し切って大正一三年に制定した。
 小作調停は小作争議の当事者からの申請で、裁判所に小作調停委員会を設けて調停にあたったが、その際、この法律で決められた小作官が大きな役割を果たした。小作官は「争議の調停」「調停法外の調停」「争議の未然の防止」「小作関係の改善を計り小作問題を中心として農政問題の施設解決」に当たるとされ、調停に必要な諸調査をし、意見を述べることができた。栃木県でも表7で分かるように、昭和二~一六年の全小作争議一、九八九件の内六四三件(三二パーセント)が小作調停を申請しており、その解決については福田小作官補の活動が史料に散見される。この調停は絶対的な地主の土地所有権に対して、小作保護という社会政策的立場から一定の修正を加えるという意味があったとの指摘もある。
 大正から昭和初め、農村問題や小作争議をめぐり多くの論議があったが、法として成立したのはこの小作調停法だけであり、事業として実施されたのは自作農創設維持だけである。
 
表7 小作調停事件一覧表
受理総件数争議単位総件数争議単位件数ノ内容関係土地面積関係人員
申立者別件数種別件数結果別件数当 事 者利害関係人
地   主小 作 人合  意双   方小作料支払小作料支払
土地返還
土地返還小作料減免小作料減免
小作継続
小作継続小作権作物
有益費等ノ
賠償作離料
等ノ支給
小作条件ノ
確   定
其 ノ 他成   立不 成 立取  下却  下未  済地  主小 作 人
昭和元年3312― 2 ― 1
 23.75
95463
2871613124 ― 2142.22471625214
313936321212 ― 736.7428171199
4221111 ― 1 ― 10.162226
51010191531 ― 6 ― 31206.11128092
68835121112 ― 6 ― 236.314050191
7191971221316518 ― 7436.614567112
884364321117717112411199.191121352249
96334122114345213323371549.65555909654
1013688375017237191216467416419.4720640210618
111237719583115291019 ― 61―  13386.139616514275
1264511140442162194421846.3277953175
133434112342541722211116.884045186
1430278181123711 ― 316110117.5281031132
1518612321183112513.51918744
16282832524132721  ―6135.2303363