一月二六日には県公会堂で生産党の「殉難四士の党葬」が総裁内田良平他多数が参列して行われた。
慌ただしく日が過ぎていく中、一月三〇日に第一回調停裁判が開かれた。調停委員、農林省小作官、県の福田小作官補が参列した中で、裁判長に意見を求められた地主代表野沢は(ア)昨年の減収は最大一割、(イ)隣接地主は小作料減額せず、他の地主も減額は五分~一割の二点を述べ、減額は一割と主張した。午後二時ごろ小作代表と補佐役の大屋が出廷して減額八割を主張した。双方妥協の意思はなく次回は二月九日となった。二月九日出廷した野沢は調停委員から小作側へ譲歩するよう再考を求められた。小作側は大屋が収監されたため延期を求めた。地主側は「譲歩」について協議を重ねた結果、二割減額の譲歩が容れられなければ調停取り下げとすることになった。
三月五日の調停裁判で裁判長より三割減額程度まで譲歩するよう話があり、坪山徳弥調停委員、福田小作官補も同意見だったが、小作側は五割減額、地主側は全員申し合わせ通り二割減額を主張した。結局、調停は決裂し地主側が調停を取り下げた。
図15 生産党員葬に参列した内田良平(中央)(「東京日日新聞」昭和7年1月27日)