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熟田村の飯米闘争

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 山前村、益子町の飯米闘争の影響を受けて、七月に入ると熟田村全農支部は部落の座談会や区集会を開き、代表を選んで七月一九日には熟田村役場へ押しかけ「貧民救済のため村基本財産一万五〇〇〇円で政府米を買い払下げよ」と要求した。また、組合幹部は地主の家を訪ね「餓死に瀕した農民に手持ち米を出して食わせろ」と迫ったという(『氏家町史』下巻・二六六頁)。七月二八日開いた村会議員協議会は全農の要求を入れ貧民救済はするが、政府米の払下げではなく村内有志の持米で救済することにして、具体案は二九日に検討することになった。
 二九日午前、役場二階会議室の緊急議員協議会には植木村長、助役に大谷忠、鉢村与作、鈴木新等議員一〇名と傍聴者約四〇名が集合、下には支援者一〇〇余名が集まってきた。村長は要求趣旨を説明し村財政窮迫で救済対策費を工面できないとして、別な方策の検討を求めた。しかし、発言するものもなく、傍聴者の怒りの声や野次の中で時間は過ぎていった。そこで、村長支持派の議員は行政区長との合同会議を提案して村長の苦境を救おうとした。翌三〇日、議員、区長、方面委員の合同会議が招集され、区長は一三名全員出席したが議員は数名しか出席しなかった。区長の中には組合幹部もいて怒りだし、貧困村民の調査も断られて、万策尽きた形の村長は翌日の会議に前村長鈴木峯三郎と全議員の出席を約束して、この日の会を流会とした。
 七月三一日の第四回合同協議会には鈴木前村長、議員、区長、方面委員らは集まったが村長の姿はなかった。全農全会派は熟田支部、大宮村、北高根沢村、芳賀郡芳志戸村、南高根沢村、河内郡絹島村などから百数十名の組合員を動員して、役場二階の会議場の議席を取り巻いていた。発言する者のいない会議で意見を求められた鈴木前村長は、
 
  食糧に悩む今日の事態は重要である。これひとり本村のみに留まらず全国的な重大問題なので、今、国、県で対策をたてているが、今日あすに間に合わないから、村では緊急対策をたてて救済するほかあるまい。もし、私の小作人や出入りの者で、明日の食糧に事欠く者があれば、相談にくれば善処する(『氏家町史』前出、二六七頁)と
 
述べて、村としての対策の必要を認めたが、助役は村長不在で適切な対策をたてることが出来ないままに時間が過ぎていった。休憩も昼食もとれず、交渉は進展せず、議員たちは組合員に監視されている状態だった。

図19 熟田村飯米闘争を伝える記事(「下野新聞」昭和7年8月3日号)