一 産業組合主義研究及普及、宣伝、盟友・組合員獲得のため部落座談会、研究会開催
二 村、村農会及組合と協力して農業経営改善の講習会の開催
三 雑誌「家の光」の普及と「ニュース」の発行
四 農家小組合と連絡し肥料・雑貨の予約と配給を行い、共同販売事業の援助として集荷に努力する
五 村及村農会へ産組を中心とする農村更生計画の樹立、青年学校に課外講義として産業組合の講座を設けるよう要望する(「ニュース」二一号一〇年九月一五日)
一一月二七日には全体役員会で農閑期事業計画を検討し、一〇年中に部落座談会を必ず一回ひらくこと、産青連が中心になって農事実行組合を設立すること、「家の光」(現在二五〇部)を増加させること等をきめた。(「ニュース」二四号一〇年一二月一五日)
昭和一一年の活動方針・事業計画は次のように決められた。
(活動方針要旨)
農業恐慌が慢性化している中で、農民を協同団結の道へ向かわせる産業組合勢力の拡大強化に努める。産青連の理想目標は農村を資本の重圧から防衛し、農村経済を独立・統制化することにある。我々の活動目標はかかる方向にしたがって規定されねばならない。
一 産青連組織の整備 村連盟内部機関の整備、支部・班活動の徹底
二 教育活動の徹底 研究会、講習会の開催、産組時事問題の研究
三 農村経済並農家経済の実態調査 農家簿記の普及、生産費及金肥消費高調査
四 産業組合の強化 購買品予約・配給の援助、産組大衆化の実行、反産運動徹底排撃
このような方針で北高根沢村の産青連は地道な活動を通して、産業組合主義による統制(計画化)された協同社会の建設を求めていた。この中心にいた渡辺佳勇は栗ヶ島の渡辺栄(学務委員、村会議員、郡会議員など歴任)の長男で、祖父甲子は第四代村長だった。旧制大田原中から東京農大農業経済学科へすすみ、本県出身の著名な農業経済学者我妻東策の教えをうけた。卒業後、研究者を志し宇都宮高等農林(現宇大農学部)の副手になるが、講座派的な学問上の立場が問題となったようで一年で辞職、昭和八年から県購販連合会に就職し農業倉庫の熟田支庫へ勤務して産業組合運動に入った。昭和一〇年からは県産青連の事務局員になって産業組合活動の理論的指導者として活動した。
図22 北高根沢村産青連結成大会の記事(昭和10年9月)(栗ヶ島 渡辺章一家蔵)
図23 北高根沢村産業組合への出資証券(栗ヶ島 渡辺章一家蔵)