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自力経済更生運動のねらい

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 恐慌で崩壊に近い打撃を受けた農業と農村を再生させる切札として登場した農山漁村経済更生計画は「農村部落に於ける固有の美風たる隣保共助の精神を活用し、其の経済生活の上にこれを徹底せしめ、以て農山漁村に於ける産業及経済の計画的、組織的刷新を企図」するもので、特に「農業経営の基本的要素の整備活用、生産・販売・購買の統制、金融の改善、産業組合の刷新・普及、産業諸団体の連絡統制、備荒共済施設の充実」などの実現が主要なことがらだった(「農山漁村経済更生計画に関する農林省訓令第二号」昭和七年一〇月六日、栃木県農務部編・前掲書)。しかし、七年度の予算は二二一万六〇〇〇円ほどだったから安上がりの精神的運動という側面もあった。いずれにしろ、この方針のもと県は栃木県地方更生計画委員会、同農山村計画委員会を設けて、経済更生計画をたて、実施する町村を指定して事業をすすめた。
 塩谷郡では第一年度喜連川町、矢板町、泉村、第二年度(昭和八年)阿久津村、熟田村、第三年度片岡村他二村、第四年度藤原村他一村が経済更生指定村として経済更生計画の樹立を指示された。計画を立てるに当たっては「中心人物(指導者)によく其の人を得」「堅実、適切なる計画」を立てることを求め、幾つかの助成事業を行った。それらを挙げておくと、農業、畜産、諸副業の共同施設の助成、負債整理組合指導の専門職員を置く、農村産業組合拡充計画と産青連活動の促進、公民学校・農業補修学校・男女青年団・各種実業学校卒業者を主体とする農事の研究会・講習会の開催などである。