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村の巡視

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 昭和一六年(一九四一)から翌年にかけて高根沢町域に県知事はじめ有力人物の村内視察がみられた。昭和一六年一月二八日に山県三郎知事は農村の実状を視察するため北高根沢村を来訪した。当日は午後二時より二時間、村の有志と肥料及び農用資材の円滑な配給について、また節米生産の拡充について親しく懇談した(郷土便り)。ついで五月一三日には北高根沢村で徴兵検査が行われた際、侍従武官が視察にみえたが、検査は優秀な成績で終了することができた。
 翌一七年に入ると一月九日栃木県に赴任した知事桜井安右衛門は六月に北高根沢村内の巡視に来村した。目的は村内の共同作業、共同炊事、農繁期託児所、学徒労務動員の状況視察であった。来たのは六月四日で巡視を巡路にそってみることにする。まず阿久津村石末より上高根沢金井神社の託児所と上高根沢国民学校の託児所を視察、ついで上高根沢中組東の見目清重宅、小堀慶造宅での共同炊事の状況をみている。さらに栗ヶ島の渡辺佳勇宅の共同炊事、太田では北高根沢国民学校での託児所を見学してから北高根沢村役場で休憩している。午後は中郷の共同作業場での共同炊事、同じ中郷で県立農事試験場委託の水稲特殊実地指導地の共同田植を視察し、さらに平田の鈴木長寿宅での共同炊事、熊野神社での託児所と計一〇か所を一日で視察するという多忙な日程を終えている。
 この時、村内には六月一日より一四日までの予定で勤労動員の学生が来ていた。作業内容は田植え、麦刈り、除草、共同炊事などであった。知事が来村した時は、農繁期の勤労動員で、宇都宮実業学校の生徒が六月一日より二週間、専ら田植え、麦刈り作業に従事していた。学生たちは五月三一日に上高根沢国民学校、村役場、花岡国民学校にそれぞれ到着し、そこから各部落に分かれていった。休日は六月四日・九日で知事来村のときは折悪く休養日にあたっていて知事は動員学生らの活動ぶりを見られなかった。
 次いで八月には岡本宇都宮第一四師団長の村内巡視が行われた。八月二九日には村内の草刈り、病虫害防除の状況視察であった。このため村では一、道路の清掃(カヤ、ヨモギ、その他雑草ノ刈取)二、田稗抜取りの徹底(特に沿道の徹底)三、当日午前中は全員草刈り作業に従事することなど、その徹底をはかった。知事や師団長の来村は厳しくなる戦時体制下の農村状況視察が主であった。太平洋戦争勃発の前後に北高根沢村の巡視がこのように続いた背景として考えられることは北高根沢村が当時、農作業の労力調整の指定村であり、農作業の共同化、共同炊事、託児所事業などの事業で県の模範村であったことである。特にこのような国策をすすめていくうえでの理論的指導者渡辺佳勇の存在を見逃がすわけにはいかない。

図35 学生の労務動員(上高根沢 斎藤宣雄提供)