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一変した応召

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 太平洋戦争が勃発し、次々と連戦連勝のニュースがラジオをつけるたびに耳に入ってくる。ハワイ奇襲作戦の勝利、香港攻撃等々。一方では多くの青年が応召されていったがその歓送迎に関して昭和一六年一二月二三日に北高根沢村長の名で宇都宮連隊区司令部の通牒「入営又ハ応召ニ当リ歓送迎等ニ関スル件」(渡辺章一家文書)が各部落長あてに通達された。
 従来入営または応召者の送迎の方針は士気の高揚をはかり、挙国一致、国難に対応する気概を反映させることが主であった。こんどの通達の中で注目すべき点は父兄知人等の付添、又は見送りは駅または歓送場にとどめ、入営地、入営部隊までの見送りは禁止にした。特に「入営(応召)に当たり旗や「タスキ」等、資材を要する標示並びに装飾等は一切廃止のこと、見送り人の小国旗等携帯に就ても亦同じ」と具体的な指示がなされた。一般に応召者は入営する際、肩にタスキをかけて駅まで行進する風景がみられたが、これが廃止になった。当然ながら多くの人が小旗をふって送ることもできなくなった。このような出征風景は「資材を要する標示、装飾」という範囲に入り禁止になったという。また、駅頭での村代表の歓送の辞は実施してもよいが、司令部はここで「防諜上言辞に注意すること」と念を押している。
 入営応召者の服装は戦闘帽に国民服又は軍服に類似したものを着用とし、背広などは禁止され、入営時より軍人として心がまえが要求された。
 この出征兵士に対する制限は、一か月後には改められた。一七年一月二五日の村常会の軍事援護の強化徹底の項には「出征将兵ノ歓送ニ関スル制限緩和ヲ周知セシムルコト」が明記されている。歓迎の小旗、応召時のタスキの禁止などが国民の間に評判が悪く、ひいては国民と応召者の士気高揚を妨げると考えられたせいであろうか。戦争の激化にともない多くの人たちは国家のため出征していった。

図37 祝出征の旗(花岡 小林ツヤ子家蔵)