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生活必需品の統制

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 政府は昭和一三年国家総動員法を可決し、これによって議会の承認なしに「人的及物的資源ヲ統制運用」する権限を得て労務・物資・貿易・資本・施設・物価などあらゆる面にわたって統制を行うことができるようになった。物資の配給制はすでに昭和一五年四月に米、味噌、醬油、塩、マッチ、木炭、砂糖など一〇品目に切符制採用が決定され、順次、実施に移すことになった。特に欠乏のはなはだしかったマッチと砂糖は、六月一日から六大都市で切符制を実施したが、一一月一日からは全国いっせいに切符制が実施された。昭和一七年二月一日からは味噌、醬油が切符制になり、味噌は一人一か月二〇〇匁、醬油は一人一か月四合以内に限り切符を使って購入することになった。同時に衣料切符制も実施され、一人一年に都市部一〇〇点、郡部八〇点の使用が定められた。高根沢は郡部のため八〇点が年間の衣料切符の点数であった。当時、衣料切符の点数は背広一着五〇点、ワイシャツが一二点、手拭いが三点であった。こうして年間八〇点の衣料切符を消化してしまえば、たとえお金をもっていても衣料を買うことはできなかった。
 ここに阿久津村石末、赤堀班の配給状況についてみることにする。赤堀班は六班に分かれており、ここでは肥料等農業に関するものなど除いて生活必需品を中心にみることにする。配給回数は一月から五月ごろまでは月二回~三回程度で、六月に入って六回、七月四回、八月五回と、この年のピークで九月以降は平均二回くらいに減少している。すなわち、東条内閣総辞職という政局の危機のころからその傾向は明らかになった。八月以降の配給状況をみると表29のとおりである。食料品はサバ、ニシン、イワシ、菓子、その他マッチ、ローソク、足袋、下駄、鼻緒まで配給されていた。配給量も少なく、例えば九月三日に地下足袋が配給されたが、その数は全体でわずか七足で、そのうち四足は大麦二俵以上の供出者で、残り三足は部落順になっており、大部分の人は恩恵をうけられなかった。他の品物でも、足袋などサイズがあわず、配給といってもよろこべない状況であった。煙草なども昭和一九年一一月には一人一日六本ずつが隣組配給となり、翌年四月には五本に減った。国民は「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」のスローガンのもと耐乏生活を強いられた。
 
表29 赤堀班の生活必需品配給状況(昭和19年7月~12月)
月日配 給 物 資1 班2 班3 班4 班5 班6 班
7月4日イ カ 17枚 15枚 16枚 15枚 21枚 15枚
 10日生 魚1,2181,0431,1341,0571,4701,078
ニシン1,2181,0431,1341,0571,4701,078
 11日足 袋151113111813
 針5.35.35.35.35.35.3
 筆11111
  19日マッチ95915915
ローソク125105145120180165
繊 維211122
8月3日サ バ1,6501,4101,5301,4301,9901,460
  6日ニシン1,1309601,0509801,3601,000
 17日カ マ122121
  22日菓子(7才以下)1円04銭 56銭558813688
足 袋1071191211
軍 手111211
   26日カツオ690590650600840610
 9月3日菓 子 89銭 82銭 71銭 89銭 112銭 86銭
ニシン1,020匁9909548941,234906
木 炭  1俵11121
 9月7日マッチ9.5998.51110
下駄(大)151514131814
  (小)151514131813
花 緒544454
   28日 生 魚1,6201,4801,4501,3401,9201,550
 10月27日マッチ8.58710.51210
菓 子10097968712196
11月9日塩イワシ 850匁8508107101,030685
 20日障子紙  1本12221
切符枚数 32枚2933283928
手 拭 9点数999129
ネ ル  8点88888
靴 下336366
スプリング888888
子供開衿888888
子供ズロースパンツ 申又1ズロース3ズロース3ランニング3ズロース1
15ズロース2151524パンツ2
15
ズボン下子供用大人子供用子供用子供用大人
101510101015
 11月28日カズノコ 400匁357382338483338
スルメ  17枚1620152420
 12月30日マッチ 8.5個8107.51110
ローソク 106本10212793145127

史料編Ⅲ・427頁より作成