一 国民精神の陶冶
・科学の生活への融合を図り、経験知識・技術の活用に努め、団体規律と統制ある行動精神を奮い起こすため集団的勤行運動を盛んにする。「全体が一人の為に、一人が全体の為に」存在するのだから、教育をうけたインテリはその能力を村の青年たちが科学的な方法を取り入れられるように活用せよ
二 農村生産力の維持増進
・時局下農村の最大の問題は産業編成替により働き手の不足と物資の不足で農業と農村経営が質的に低下していく事である。これは単に労働強化や消費節約では解決しない。農村の協同化以外に解決の方法は絶対にない
・農事実行組合(法人)を単位として生産の計画化・共同化を行うが、経済的指導は産業組合に、生産的・技術的指導は農会を中心に集中的効果をあげるよう努める。
・各戸営農計画は農事実行組合で共同審議して技術、労働力、生産財を合理的に活用できるように土地の交換分合・整理を促進する。そして、耕作を最も経済的に遂行する目的で、共同経営への移行を促進する
三 新生活様式の確立
・農事実行組合を単位に組合員の生活の計画化と協同化を図り、出来るだけ同規格の物を使用し、代用品を取り入れ、購入物資は産業組合をへて統制配給をする
・掛け声だけでなく真に冠婚葬祭等の簡易化を図り、必需品の自給と節約により貯蓄を励行する
・託児所、共同炊事、栄養食品の共同配給、集団的保健施設などを実施し、体位の向上と生活力培養に努める。特に婦人の参加・協力を促進する
四 軍事援護事業への参加
・応召遺家族の農業経営を部落実行組合が共同責任として協力し、さらに負債整理を手伝い、必要ならば生活の成り立つよう転業の相談にのるような活動を実行する
・出征者復員の時、村に優先的に受け入れられる集団的援助、戦傷者の産業組合職員への優先的採用などの空気を部落内に醸成する
この運動は産青連の主流を占めるようになった。当時、県産青連書記長だった渡辺佳勇は、読売新聞昭和一四年四月九日付に「協同報国運動を提唱す」という一文を寄せて、経済更生運動が現在の農業の仕組みをそのままにして「勤労主義」と「報徳主義」という精神運動に陥っていることを批判して、農業の協同化以外に生産力を維持し、戦争を遂行することは出来ないことを主張した。かつてマルクス主義の立場から農村問題の解決方向を模索していた渡辺佳勇は、産業組合の協同主義のなかに農業と農村のあるべき姿を求め、経済更生運動を通じて、その実現に努力していた。
昭和一五年に入ると、産青連の主張は県、県農会、産業組合栃木支部共同の提唱で官製の「農村協同体制確立運動」へと転化していった。そして、長期の戦争に耐えられるよう全農村を農事実行組合(法人)に組織化することになった。同年八月に出された「農村協同体制建設綱領」は近衛内閣の新政治体制に対応した農村の新体制建設運動であった。その目標は、農業の国家的使命(兵力・労力・食糧供給)を自覚し、農業者が国家に奉公するため生産、生活を一体化した協同体を建設し国防国家のための全国民動員の翼賛体制を確立することであった。そして、渡辺佳勇はこの運動を進める農村協同体建設同盟の書記長に就任した。北高根沢村に農村協同体建設同盟支部が結成されたのは一五年の年末であった。
図41 稲の正条植えをする渡辺佳勇(栗ヶ島 渡辺章一提供)