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供出と農業会

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 農業の共同化が着々と進行するなかで、昭和一六年から米麦の供出制が始まった。供出は耕作農家と在村地主の自家保有米を除いた生産米を政府が全部、強制的に買い上げるというやり方で行われた。小作米は在村地主の自家保有米を除いて、小作人が直接供出した。そのため、小作料は現物から代金納にかわった。小作料統制令もあって、地主の立場はこれまでよりずっと弱くなった。
 食糧増産は戦争遂行のための至上命令であり、一〇〇パーセントの供出が「聖戦」を支える力であるとされ、一人一人の農民も農事実行組合も真剣に供出割当を越えて供出しようと励んでいた。町域三か村の供出割当は表37のようであるが、実収高に対する供出割当は一六年で阿久津が八二パーセント、北高根沢が八五パーセント、熟田が九〇パーセントで、この後も阿久津は三か村のうち最も低く、熟田が一番高い。一七年は豊作だったが、一六年、一八年、一九年は平年並みだった。しかし、昭和二〇年には肥料不足、人手不足で反収が一石八斗台から一石二斗にまで落ち、実収高は一六年の六〇パーセント台に落ち込んでしまった。米の不足する分は甘薯、馬鈴薯、麦類などの供出で補っていた。
 太平洋戦争の戦局が日本の不利に転換する一八年ごろから農村の青壮年労働力は急激に減少し、中高年男子と女子が農業の中心的担い手になった。そして、慢性的労働力不足を補うための援農学徒動員も定着した。そうしたなかで、懸案となっていた農業団体の統合を目指す「農業団体法」が一八年九月に施行された。県農会、産業組合連合会、畜産組合連合会、養蚕組合連合会などが一つになって栃木県農業会が一一月一日に発足した。会長には前農会長矢部藤七、副会長には前産組副会長の五月女久五が就任した。産組の横尾三郎は事業部長の要職についたが、栗ヶ島の渡辺佳勇はこの時はすでに召集されて満州の最前線にいた。農業に関する一切の指導助言、生産段階での技術的指導、購買販売や信用事業などが一つにまとまったことは戦時体制に応じた農業統制のありかたでもあった。
 米軍の反攻によって制海権も制空権も失ってくると、台湾、満州、朝鮮からの食糧や工業原料の移入も困難になった。すでに昭和一七年二月には衣料の点数制が実施され、郡部は一人八〇点というように消費物資は制限されていた。軍需物資と同じ金属類を使う農業機械や鍬、鎌、鋤、犂などの農具も配給以外では手に入らなくなった。政府は食糧の自給態勢強化の方針を決め、一九年(一九四四)二月に全国市町村長、市町村農業会長に奮起協力を要請した。県も「栃木県農業綜合計画要綱」を策定し食糧増産を図ったが、肥料、農業機器、労働力の不足から計画の多くは机上のプランに終わってしまい、県全体としても、高根沢地域としても作付けされる田畑はしだいに減っていった。村々には農繁期援農部隊が組織され、田植え、刈入れの日をずらす等の工夫をして村内の労力調整をしていた。
 昭和一九年には県は戦時繊維非常増産対策として桑皮、野生の苧麻、藤、竹の皮の採取を村々に割り当てた。養蚕が盛んだった熟田村では桑皮五五二貫を割り当てられている。熟田村の計画では桑のほか竹皮、野生苧麻、蒲穂等の採取計画をたてている。また、同年九月に阿久津村石末の宿坪の部落会では会員に供出についての意見を求めた(史料編Ⅲ・四九二頁)。意見の中で目立ったのは
 
  ・供出割当てを決める収穫見込みの決め方を公平に納得のいくようにして欲しい
  ・米の横流しを共同で防ぐ
  ・割当て決定の時は精農か惰農かよくみて惰農には斟酌しないこと
  ・家族状況を配慮して保有米を決めて欲しい
  ・共同作業を実施して互に技術を磨き隣保互助の精神を高めること
 
などであった。こうした意見を参考に部落会長野沢茂堯は「供出米に関する指導方針」を次のようにまとめて、部落会員に協力を求めている(要約)。
 
  一 供出観念の是正
    食料は戦に勝ち抜くための兵器、供出は男子の応召と同じ、政府に搾り取られるという誤解をもたず、出征兵士を送る気持ちで供出する
  二 地質・作柄・勤惰の厳密なる調査
    稲の生育の良否は地力、肥培管理、丹精によるから勤惰の点も調査し参考にする
  三 保有量を正確に
    出来るだけ保有米を確保する方針だが、不正な点が少しもないようにする
 
 このような農民たちの力で供出米は不十分ながらも確保されていた。
 
表37 阿久津・北高根沢・熟田村米供出成績



     作付反別(町) 実収高(石)  供出割当(石)  供出高(石) 達成率 
  16年   1,327     22,721      18,714     17,635    94% 
  17年   1,288     24,424      20,526     18,573    90%
  18年   1,211     22,704      18,062     18,068    100%
  19年   1,174     22,212      18,053     17,520    97%
  20年   1,109     14,039      12,432      7,448玄米
                                   741貫代替
                               合計 7,744     62%




  16年   2,311     41,867      35,778     33,532    94%
  17年   2,240     44,302      39,520     35,544    90%
  18年   2,439     41,692      34,512     34,512    100%
  19年   2,231     41,874      34,810     33,176    95%
  20年   2,075     27,533      24,998     14,678玄米
                                    2,868代替
                               合計 15,753    63%


  16年   1,602     28,140      25,505     24,396    96%
  17年   1,551     31,222      27,758     26,018    94%
  18年   1,525     28,780      24,566     24,566    100%
  19年   1,454     28,285      24,868     23,628    95%
  20年   1,418     17,411      16,767      9,898玄米
                                     738代替
                                合計 10,185    61%

注 代替は麦類・いも類
栃木県統計書「昭和16年~23年主要食糧生産及割当供給編」より作成