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供出に悩む村

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 阿久津村の「諸供出簿」をみると、供出に関する諸々の動き、村の苦しい内容をみることができる。敗戦後の日本は、国内の焼土化、そのうえ敗戦による政治・社会面の不安、加えて気候不順による三五年ぶりの凶作と伝えられ、食料不足は日に日に厳しさをましていった。新聞は連日食料危機の状況を報じ、塩谷郡にあっても地方事務所で緊急町村会議が開かれ、供出促進について協議がもたれた。
 塩谷郡は、昭和二一年一月一〇日の供出率が、わずか三八パーセントにすぎなかった。当然のことながら関係当局は対策に頭をなやました。阿久津村長阿久津登は一月二二日に村民に対し「食糧危機突破ノタメ供出完遂ニツキ特ニ御相談」として五項目をあげ供出促進にあたった。とくに中心になったのは供出優秀者に対する生活必需品の特配であった。注目される一項をみることにしよう。
 
  班及ビ個人毎ノ成績進度表ヲ作成シ、部落内ノ供出状況ガ一目瞭然タルヨウニ願ヒマス、尚成績優秀ノ個人及ビ班ニ対シ農業必需物資ノ特配ガアリマス、其ノ外一般供出者ニモ、ソノ成績ニヨリ、衣料ソノ他ノ特配ガアルコトニナリ、清酒ハ二十四日迄、旧年度内供出確約量ニ対シ急遽配給スルコトニナリマシタ、供出量確約ト共ニ庭先検査ガアリ、検査終了ト共ニ「トラック」ソノ他ニヨリ集荷イタシマス
 
 その他、小作米は金納でなく物納でお願いすることなどの供出への協力願いとともに、供出に協力しないもの、供出せぬよう煽動するものに対しては非協力者として報告するよう通知している。
 村長は供出の責任を負わされており、農民に対し供出完遂について相談する一方で知事に対しても積極的な働きかけをしている。昭和二一年一月二五日に新たに就任した小川喜一知事に対し、阿久津村長は期待通り供出が進まないことを詫びながら、この隘路を切り開くために意見を述べている。内容は、(一)軍関係隠匿物資の摘発、これは供出促進に必要な自転車の「タイヤ」地下足袋などを終戦時に軍が不当に処理し、そのことが今や怨嗟の的となっているとし、この解消を訴えている。(二)小作米の金納厳禁及薪炭売買の物々交換を厳禁する。(三)米価の急速な引上げ実施。(四)惰農に対する耕作権剥脱などである。こうした点を実行すれば供出成績はもっとあがるとしている。塩谷郡の供出率は表3に見られるように町村長らの努力もあって次第にあがり約二〇日間で三八パーセントから一月末日には四四パーセントと六パーセントの増加をみたのである。これでも供出率は低く対策にはいろいろな方法を講じていった。
 
表3 昭和21年1月の供米成績
1月10日1月31日
 俵
阿久津村 供米量  13,02014,113
供出率  42%45%
北高根沢村 供米量  23,89926,827
供出率  39%42%
熟 田 村 供米量  14,27017,050
供出率  34%41%
塩 谷 郡 供米量  106,719125,652
供出率  38%44%