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農民の声

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 供出に対する官と民の関係はむずかしい所までいっていた。塩谷郡の矢板附近の村々による供米促進懇談会は二一年一月九日県立矢板農学校で開かれた。県より第一経済部長、地方事務所長その他の関係者、町村より町村当局、農業会、部落会長、農事実行組会長、供出委員その他百余名が出席、供米完遂のための方策が話しあわれた。県の供出促出の要望に対する農民の意見は次のようであった。農民は衣食住すべて米がなくては何も手にはいらず、生活できない立場におかれていた。とくに昨年は不作で思うようには供出できないというのが現実であった。農民の生活は予想以上の苦しい毎日であった。出席した一農民は次のように語った。
 
  私は農民としては保有米以外は一合でも余分に供出したい、しかし栄養素をとるため、時たま売りにきた一匹の鰯を買うとすれば、一匹一円五〇銭前後はとられる。一〇名家族とすれば一人二匹として三〇円で、米価にして二斗の米が入用だ、地下足袋を必要として闇でみつけると米六、七升をださなければならない。医者を呼ぶにしてもお米、大工を頼むにしてもお米をださなければ来てくれない。すべてがこのような訳で生活のすべてが金銭でなくお米であるため、農民として生活していくことを思うと心細い気がしてお米は容易には手ばなすわけにはいかないのである。
   次に、供出割当てが農民の不満をかきたてた。即ち、町村からきた割り当てが部落にくると甲に厚く、乙に薄い、即ち、はぶりのよい中農以上には少なく、下積みの貧農には多い割当てをするといった割当ての適正を欠いている点がある。それだから”誰が出せば俺も供出しよう”といった供出の日和見競争をしている。
   中農以下の農民は、天上知らずの物価高に公正価格の供出では全然一家の生計がたっていかない。闇米を売ってこれを補わなければ一家は経済的に破滅してしまう故に、供出を幾分でも少なくする(「下野新聞」昭和二一年一月一三日)。
 
 供米の不振について県の農業会が世論調査を行ったがこうした農民の声には十分な理由があった。農家経営の不安は農村必需物資の高騰で、ますます高まり、農民生活は窮状のどん底につき落されていた。しかし主要食糧の価格は依然として安く、麦一石の値段で地下足袋一足しか買い求めることかできず、それに加えて生活必需物資の配給はなく、ミカン百個と玄米一俵が釣り合う矛盾が生じていた。某村の農民が馬車の芯棒を折って鍛冶屋へ行ったところ、修理用資材として炭三俵、米二升、金一五〇円を要求された。農民は明日にも困る必需品なので泣く泣く修理を依頼したという(「下野新聞」昭和二一年一月二六日)。
 供出が不振であるかげには肥料や農具不足のため農家経営に苦しむ農民たちの厳しい生活があった。