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初期の公民館活動

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 高根沢町の社会教育の拠点となる公民館活動は昭和三三年(一九五八)六月に出された公民館設置条例にはじまる。本館は宝積寺一二二〇番地の二におかれ一〇月から活動が開始した。その第一歩は「広報高根沢」の創刊である。創刊号は一〇月二五日で、この号で小林弘美町長は自ら館長に就任し、公民館について「郷土における公民学校、図書館集会所、産業指導所などの機能をかねた機関であり、又青年団・婦人会などの町の文化団体の本部ともなり」として郷土振興の基礎として重要性を述べている(「広報たかねざわ」創刊号)。
 当時、高根沢町の行事推進の上での悩みは上阿久津と大谷の境界変更をきめる住民投票問題で、町長は一一月三日の合併祝賀会でもその苦しみを式辞で述べている。一二月七日大谷小学校で町民およそ二、五〇〇名の参集をえ、住民投票反対の町民大会がもたれ、住民投票反対、蚕食行為を逞うする氏家町当局に抗議するなど四か条の決議文を提出した。結果は、昭和三四年二月二二日の住民投票で上阿久津は氏家町、大谷は高根沢町に残留することになった。町長は二月二五日発行の「広報たかねざわ」に「過去一切の経緯を捨て、すべてを夢と諦観して、心機一転、潔く一日も早き町造りに御協力戴くことを切望します」とのべ、対立感情を捨てて新しい町造りを訴えた。町では早速、新しい町づくり、人づくり、社会作りのため、社会教育をみんなの手によって推進するため「町ぐるみ協議会」を結成した。協議会では旧正月を廃止し新正月一本にする。農休日を町で設定することなどが話し合われた(「広報たかねざわ」一三号)。公民館活動をより身近なものにするため移動公民館を設け町内四三か所を巡回し、紙芝居などを行ったりもした。また役場・農協・公民館の連絡などを知らせたり農業、商工業の相談、健康相談、図書貸出しを行い多くの町民の利用をえた。

図16 女子青年学級の調理実習


図17 社会教育活動の拠点となった町の公民館(昭和40年代)