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目次
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第五章 戦後改革と民主化
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第二節 教育の再生と学制改革
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二 社会教育の復活
部落公民館活動
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町では昭和三六年度からの五か年計画で社会教育の方針を打ちだし、現在本館一、分館一六を将来は一、〇〇〇名収容の講堂を本館に新設し、小学校に併置されている分館を独立館にすることなどをあげている。翌年は当時の公民館活動を東部地域は小学校単位に、西部地域は小地域に分館を設置して活動するようにした。町ではさらに社会教育活動をみんなのものとし、部落の自主的な創意と工夫とによる活動ができる態勢を作るため部落公民館を育成することに努力し、昭和三八年末頃までには部落公民館は三七館も組織された。当時成立した中妻部落公民館は(一)グループの話し合い、(二)貯蓄の奨励、(三)環境衛生、(四)全戸無火災運動、(五)農休日の実施、その他、台所改善、旅行会などに力点をおいた。公民館事業は内容的にも充実し、昭和三九年には青年学級の育成を主眼とし、女子には洋裁・料理・生花中心に一般教養を加え、男子には農業経営を中心に農村後継者養成の場にするとしている。家庭教育の振興では小中学校と連携し、家庭教育学級を三か所で開催、社会体育の授業、町ぐるみ協議会活動による青少年健全育成につとめ、新生活運動では県土美化運動を推進すべく指定部落中心に運動を進めた。昭和四六年から家庭教育学級を開設、毎年小学校のうち二校ずつをえらび低学年の父兄を対象に開いている。また六月から翌年三月まで毎月一回夜間公民館を開き、成人式を迎える青年対象に青年学級を開催、婦人学級も六月一五日に開講している。町の社会教育活動では公民館が中心に行われ、四七年度の学級講座では家庭教育学級、婦人学級、成人講座、生活学校が、社会教育関係の行事では敬老会、成人式、部落公民館長研修会等、幅広い活発な活動が展開された(「広報たかねざわ」一五一号)。活動は文化面にも拡大し、四八年一一月三、四日の両日太田地区コミュニティセンターで公民館主催の第一回文化展がもたれ芸術の秋にふさわしい催しを行った。これらの運動は今日の生涯活動へとつながっていった。
図18 新生活のおどり(昭和28年5月5日)
図19 楽しい農村バレー(昭和30年代)
図20 太田地区コミュニティセンター(昭和48年頃)