この内容については批判が多く、保有小作地が五町歩では全小作地の二分の一が解放されず、小作農の半数は土地を所有できないとして、不在地主の保有地を認めない、在村地主の保有限度を三町歩にするなどの意見が多くだされた。日農や社会・共産両党は小作地を国が買収し、もっと徹底した農地改革を行うべきであると政府を批判していた。またGHQもこの案に批判的で、政府の具体的な実施計画を認めなかった。
この間、新聞に政府が小作地解放へ動きだしたことが報道されると、地主たちは不安を感じ小作人に小作地の返還を求める者が現れてきた。東京から疎開してきた地主が自作農になるといって小作地を引き揚げたり、働き手が復員してきたからと小作地の返還を求めたり、在村地主が自作地を増やすといって小作地を返還させる等の動きが全国的におきてきた。「熟田村農地委員会陳情綴」にはそうした事例四、五件があり、阿久津村農地委員会でも二二年一二月までに小作地取上げの紛争八件を小作側に有利に解決したという。農林省は二〇年一二月一七日に「最近ややもすれば地主が自作を理由として強圧的に小作地を返還せしむる傾向」があることを指摘し、小作人を保護するよう通達した。しかし、土地取り上げの動きは急速にひろがって、敗戦から二一年六月までに約二五万件の土地取り上げ要求があり、うち二万三〇〇〇件が争議となっていた。
図23 小作地取り上げ激化の報道(「下野新聞」昭和21年1月20日付)