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伏久の町村境界の変更

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 伏久の一部の町村境界の変更については、氏家町・熟田村・北高根沢村の合併当初から問題とされていた。この件については、すでに二九年三月二九日付の「合併に伴う町村境界変更に関する協議書」が氏家町・熟田村・北高根沢村の間で取り交わされ、
 
  (一)大字伏久の一部を北高根沢村から氏家町に編入する。
  (二)編入の時期は昭和三〇年三月三一日までに北高根沢村が町村合併促進法に基づく合併を行う時とする。但し、この期限内に実現を見ないときは、その後直ちに境界変更を行うこと。
 
と明記されていた。
 これは、前年の第一回及び第二回の合併促進協議会において議題となり、これらの協議を経て協議書が作成されたものであった。
 内容としては、伏久の北隅に四戸の農家があり、いずれも熟田村狭開田八方口より分家したもので、日常生活・自治行政も八方口との付合ということで、氏家町に編入するよう要望があった。しかし、合併に際して部分的な境界をつくることは日数を要し、合併を目前にして時間的に間に合わない状況にあった。そのため、北高根沢村へ編入合併後に境界変更するということで、前記の協議書が作成された経緯がある。
 こうして、三〇年三月三一日を待つことになったが、その間伏久地区より要望が出されている。その内容は、境界変更する地区内に集落の神社(加茂神社)があり、また用水堰がある関係で氏家町へ編入することは絶対に賛成できないとして、一八六人の署名をもって陳情したのである。
 一方、四戸の農家も協議書に基づき速やかに境界変更されたい旨の陳情書を提出し、膠着状態となった。また、伏久の代表が氏家町に陳情に行った折も、平行線のままであった。
 その後、北高根沢村と阿久津町の合併が中心課題となり、伏久の一部編入の論議は見送られる形となった。