桑窪中では農繁期保育所の他、桑窪若妻会を組織して、衣食住の生活技術の講習、子供の教育、集落の衛生・環境問題などに取り組んで、座談会を持つなどの活動をして周辺部落に影響をあたえていた。
昭和三三年までにできた婦人の生活改善グループは六つあった。農研クラブ婦人部の中郷西朝日おしどり農研婦人部、中郷中稲穂会、吹上みどり会、向原あけぼの会、花岡若妻会、桑窪若妻会である。こうした会では季節ごとの料理研究と食生活改善講習会、家計簿記帳の研究会などが主な活動の内容だった。昭和三七年五月、一四の生活改善クラブ・若妻会と梨の生産出荷組合婦人部が連携して親睦、農家生活の向上、農業発展をめざして高根沢町生活改善クラブ協議会が発足した。初代会長は梨組合婦人部長安波ツギ(飯室)、副会長には落合ハツ(下宝積寺)、板橋絹子(大谷)がえらばれた。
昭和三八、九年頃から大手企業や下請企業の進出で工場建設の工事や土木工事が増えて農家の男子の農外労働が多くなり、婦人の農業労働従事が増えてきた。婦人グループの中には田植え、稲刈りの共同化を行うところや、農繁期の共同献立による食品の共同購入を実施して、婦人の肩にかかる労働の重さを少しでも合理的に軽減する工夫をしている。
図40 生活改善運動で模擬結婚式