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新農村建設と農協

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 発足後の高根沢、阿久津農協は順調な発展を遂げていた。昭和二六年には北高根沢村農協がオート三輪車を購入して組合員へ肥料の宅配を行えるようになった。二八年には阿久津農協に青壮年部ができて、農協の実戦部隊として活動した。特に力を入れたのは「有線放送」施設つくりである。阿久津農協有線放送が完成したのは昭和三五年であった。北高根沢農協も三六年一〇月一日から有線放送を開始した。交換手六名で企画、保守の忙しい仕事だったが、村の唯一の通信機関でもあり、組合員のための農事放送と位置づけていた。実際、有線で季節毎の農事の注意事項や病虫害の予防法などが放送されて農作業の指針となっていた。
 昭和三四年からの新農村建設の諸事業は町と農協の協同事業であった。特に流通関係の事業は全面的に農協の仕事だった。主な事業は一、〇〇〇万円増資、北高根沢農協と熟田農協の共同販売体制の確立、共同貯蔵施設として倉庫一棟増築、共同集荷所として養鶏組合用三棟、果樹組合用二棟、共同集乳所五棟の建設が計画され、年次をおって建設されていった。北高根沢農協の昭和三六年度の事業報告によると、
 
  (一)販売事業では米は予約を大幅に上回る集荷ができ、苺、トマト、肉畜、鶏卵の共同出荷による販売事業も好調で、貯金も増加し、定期性預金も増加している
  (二)購買事業では肥料、飼料の予約購買は何れも目標を超える成績、また、大型農機具の導入に努力し専任職員をおいてサービスに努めた
  (三)昭和三五年から取り扱い始めた農業共済は総保有高五億四千万円となり長期資金の確保に努めた
  (四)輸送事業では三輪車一台、四輪車一台を更新、組合員の利便に努めた。八月一日から三和酪農と集乳契約を結び年間平均の収入源を開拓した
  (五)指導事業では青果、畜産の振興による多角経営指導に重点を置き、養豚、養鶏の団地化に努めた。酪農組合と協力し乳牛の導入を実施、水田酪農の振興に努めた。
 
 このように新農村建設事業と共に農協も拡大と発展の道を歩んでいった。