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御料牧場の移転経過

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 政府は、羽田の東京国際空港の機能・処理能力の限界を予想して、新空港の建設方針を決定する。新空港の候補地としては、千葉県・茨城県等の地域があげられ、千葉県印旛郡富里村一帯が最適地とされた。しかし、地域住民の強い反対により、結果的に下総御料牧場と県有地が面積の約半分近くを占める現在の三里塚の地に決まり、昭和四一年(一九六六)七月四日閣議決定された。
 これにより、下総御料牧場は閉場することとなり、新牧場用地を他に求めることとなったのである。新牧場の業務及び生産規模についての検討の結果、サラブレッド種の生産と飼料用殼物の自給を廃止する他は、おおむね従前通りとした。
 新牧場の用地調査は、四一年九月・一〇月に行われ、候補地は東京近県の関係市町村で構成する御料牧場誘致連盟等からの推薦された一〇箇所であった(史料編Ⅲ・一二六四頁)。
 しかし、いずれの候補地も問題があり決定を見るに至らなかったという。そうした中で、塩谷郡高根沢町大字上高根沢字台ノ原及び芳賀郡芳賀町大字下高根沢鷺ノ谷地区にまたがる地域を推薦する向きがあったという。面積約二五〇ヘクタールのうち畑約六〇ヘクタールで、残りは平地林となっていた。この台ノ原・上ノ原の広大な地域は、明治二〇年(一八八七)に皇宮地付属地(皇室御料地)に編入され、戦後になって開放された地域である。
 昭和四一年(一九六六)年一一月一八日の現地調査の結果から、四二年三月新牧場用地をこの地にすることが宮内庁から発表された。また、新牧場の取得方法については、新東京国際空港公団が新牧場を建設し、完成後宮内庁がこれを公団から購入することとした。一方、新牧場の価格に見合う下総御料牧場の土地・立ち木・建物その他の施設を大蔵省に引継ぎ、同省から公団に売り払う方式(建築交換方式)によることとなった(史料編Ⅲ・一二六四頁)。
 その概要をみると、土地は耕地及び放牧地一三四ヘクタール・樹林地六六・四ヘクタールを含む二五二・二ヘクタールとした。また、建物は事務所・貴賓館・宿舎・畜産製酪所・肉加工所等を含め一〇〇棟(延べ面積一一万九七一三・一平方メートル)を建設した。
 こうして、予定の工期よりも早く施設が完成し、当初予定していた四五年春の移転を四四年九月初旬に繰り上げることとなった。

図6 造成工事中の御料牧場(宮内庁御料牧場提供)