九月二三日の総務委員会で庁舎敷地問題が議題にあがり、小林町長より庁舎位置変更の反対陳情が仁井田商工会よりあったことが報告された。しかし多少の動きはみられたが大勢は宝積寺に決った。次は敷地をどこにするかについては一〇月一三日の全員協議会で、敷地選定委員会が公平に敷地決定を行うことになった。
当時、庁舎建設をめぐり対立する二つの陳情があった。
旧北高根沢地域の陳情は(1)現庁舎は当町の中央にある。(2)現庁舎は昭和一〇年に建設し未だ使用できるし、新庁舎建設に費用がかかるとして太田の現庁舎の存続を訴えた。
これに対し、新庁舎宝積寺建設の陳情は(1)合併協約を忠実に履行されたい。(2)国鉄電化復線化等、交通・文化の中心地として町の発展に最適地である。(3)当面一部費用五〇万円を宝積寺地区で負担するとしていた。次いで九月二六日全員協議会で町村合併に伴う協定事項が話し合われた。この際、今後の新町村の進め方について、役場の位置は新庁舎ができるまで暫定的に北高根沢役場を高根沢町役場として使用し、役場の新築方針として役場庁舎の位置は宝積寺地内とすることが話し合われた。宝積寺地内というが天神坂を含めるかどうかが問題になったが含むことで終止符がうたれた。
敷地選定委員会での議論は二転三転していた。まず庁舎敷地候補の東町公民館東前の畠と天神坂下の丸栃前の田が、有力侯補となって互にけん制しあい、さらに太田庁舎存置運動もかげをひそめていないという状況だった。しかし、合併時の約束をお互いが守らねば、今後円満な町政は行うことはできないという方向は変らなかった。翌三六年一月六日の選定委員会では旧北高根沢地区の庁舎存置同盟の人達を納得させるため町長、議長、地元議員たちが話し合った結果だされた次の条件について審議した。
一、新庁舎建設については法定税以外増徴しない
二、旧庁舎(含仁井田)については支所として住民の望む間存置する
三、宝積寺駅を高根沢駅に改名すること、東口をつくる。
四、旧庁舎は農業センターとして活用する。
五、産業道路を開発する。(石神、赤堀間)
六、保育所を可及的速やかに中・南・北部につくる。
七、台新田道路を改修する。
これらを審議した結果、実現に努力することになり、太田の庁舎存置の陳情と新庁舎宝積寺建設の陳情書を夫々取り下げることになり、新庁舎を旧阿久津地区に設置することを確認した。
十数回にわたる敷地選定委員会で話し合いの結果、新庁舎敷地は石末西台に決定、三六年度には二〇〇万円の予算で敷地六反余畝の整地と入口通用道路建設を終え、三七年七月一一日に庁舎建設委員会が組織され、一〇月一〇日起工式をあげ工事に着手した。懸案の庁舎はこうして昭和三八年一〇月一二日に開庁、一一月一五日、関係者六三〇余名を招き、新庁舎屋上で盛大な落成式典をあげた。小林町長は落成にあたり、「今後は庁舎を町の象徴として行政機能を一段と発揮し、試意をもってサービス行政の実をあげ、住民の福祉を目標に、本町のモットーとする明るい、豊かな住みよい町づくりに専念いたす覚悟である」と述べている。
図12 庁舎の起工式